教育福島0122号(1987年(S62)07月)-024page
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雪がある南会津郡只見町立朝日中学校へ着任し、念願の教師としての第一歩を踏み出してから、早くも二か月が過ぎようとしています。毎日が思案ととまどいの連続ですが、「人生の最も苦しい、いやな、辛い、損な場面を真っ先に微笑をもって担当せよ」という恩師のことばを胸に、今、自分に出来ることを一生懸命やっていこうと決心しがんばっている毎日です。
私は、S先生と共に野球部の顧問をしています。野球部は、「一生懸命プレーしよう」をモットーに活動しています。何事も一生懸命であることは容易なことではありません。だれでもつらくていやなことより、楽しいことの方が良いに決まっています。しかし、「これでいいのか」、「もっと可能性があるかもしれないのに」等、今の自分に問いかけながら、そして生徒たちへも問いかけながらの毎日です。私の問いかけに、生徒一人一人は態度でやる気をみなぎらせている感じがするのです。そんな時、改めて私自身も一生懸命でありたいと思うのです。
今、この時を大切にし、どんなにささいなことでも、自分として出来ることを一生懸命成し遂げれば、必ず目指すところへ到達できるはずです。仮に到達できなかったとしても、がんばり続けた努力とその道のりは、私や生徒たちにとってかけがいのない何かをもたらしてくれると信じています。
先日、野球部にとって大きなターニング・ポイントになる出来事がありました。T中と練習試合を行い、四球と失策の連続、結果は「十八対〇」という惨めな大敗でした。この大敗は、生徒たちの意識を変えました。相手に勝つには、まず自分自身の怠惰な心に打ち勝って、自分のベストのプレーを心掛けて一生懸命練習に励まなければならないことを、一人一人が自覚し始めました。翌日から、T中に雪辱することを目標に練習が始まりました。誰からともなく、「もう一本」、「もう一本」という声が出てくるようになりました。知らぬ間に、バットを握る手に力が入り、時間を忘れて夢中でノックをしていました。
穴だらけの守備をたとえて「ざる」ということばが使われますが、私の手に出来たまめがたこに変わるとともに、「ざる」であった守備が少しずつではあるが、「ざる」の目が細かくなってきました。そして、再びT中と練習試合を行い、「四対三」と雪辱しました。練習試合であり、勝負にこだわる必要はないのですが、この勝利が、私と生徒たちに、目標こ向かって一生懸命がんばれば、必ず報われることを教えてくれました。
私は、この経験を生かし、これからも生徒たちの可能性を信じ、一生懸命指導し続けていきたいと思っています。
(只見町立朝日中学校教諭)
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野球の練習に励む生徒たち
同級会
東条寿美子
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「えーと、誰だったかしら」
「わたし、○○よ」
「ああ、思い出した、思い出したよ」
今年の元旦、雪の降る甲子温泉某ホテルロビーのあちこちでの再会風景。教え子の同級会には何度か出席したが、今回は自分自身の中学校卒業以来二十五年ぶりの同級会である。クラスの半数以上は中学校卒業で就職していく時代で、しかも就職先は大半が県外であったから、今ではそれこそ各地で活躍している。その仲間が、発起人の一年前からの手際の良い働きで、在籍の六割が参集した。
時は二十五年前へと一挙に後戻りし、恩師を囲んで、酒を酌み交わしながら、夜を徹して、思い出と現況に話の花を咲かせたのである。外は吹雪模様らしく、時折り風の鳴る音が聞こえてきたが……
学校を卒業し、理容の技術を身につけ、今は、埼玉県に店を構えて十九年、五人目の見習いを育てているというA子さん。中学校時代は全く目立たない存在であったのに、彼女が語ることばの一言一句は、ここに至る人生の重みを感じさせた。
県内で自分の求めるものがなく、職を転々し、結局今は岐阜県で観光バスの運転手をしているという、安木節を踊る愉快なおじさんになっていたSくん。
「国鉄民営化で職場を変えることになったよ」と、屈託なく語る働き盛りの年齢のその顔に、どこか苦悩の色が漂って見えたYくん。
それぞれの二十五年を精いっぱい生
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