教育福島0122号(1987年(S62)07月)-025page
きてきたあかしを顔に刻み、今年は、初老を迎えたのである。その彼らが夢みるような目で一様に語るのは、「中学校時代は自分にとって人生の基盤だよ。事に寄せては心慰める場であったよ」という中学校時代の思い出だった。
私は、彼らの話を聞きながら、生きることの厳しさに直面しながらもたくましく生きてきたその生きざまに、何とも言い難い感動を覚えずにはいられなかった。私も二十五年、私なりに生きたつもりであったが、彼らに比べて甘さはなかっただろうかと、反省を強いられたのであった。
それにしても、「先生、先生」と、初老の面々に囲まれて、昔に変わらず慕われる恩師は今なお中学校でご活躍の先生である。この日、私の目には先生のお姿がより一層大きく見えた。自分も恩師のように魅力ある先生でありたい。そのためには、社会で働く仲間に負けずに頑張らねばと、そんなことを考えながら、寿司屋を営むMくんの店で、のれんをしまい込んでの二次会ならぬ三次会まで先生とご一緒してしまった。
「五年後にね」再会を何度も何度も固く誓い合って、同級会を終えた。それ以後、再び多忙な現実に引き戻された教室の中で、生徒の顔を一つ一つ見つめて、二十五年後の姿を想像したりすることもある昨今である。
(須賀川市立第二中学校教諭)
地域とともに
枝野吏
勿来駅より国道二八九号を北東の方に進むと四時川が流れており、四時ダムより五キロほどに分校、更に北東へ進むとほどなく本校がある。初夏にかけての新芽の緑、渓谷の紅葉など四季折々に人々の心をなごませてくれる。
豊富な山菜、木の実、また、ヤマメの宝庫でもあるのでその季節になると,賑わいをみせる。まことに恵まれた自然環境であるが、年々この地も過疎化の一途を辿り児童数も減少気味である。
本校十八名、分校十六名の児童が一緒になって行う活動が多いが実によく働く。一年生は入学するとすぐに上級生と一緒に清掃をはじめる。うさぎ、鶏などを飼育しているが、全員で世話をしており花壇には絶えず草花が咲いている。落葉を集めて堆肥積みをするのも得意である。実習田があるが、田おこし、田植え、そして稲刈りから脱穀まで縦割の班をつくって行っている。
上級生は下級生の面倒をみ、好ましい人間関係が醸成されている。
若い先生方も溶けこんで童師一体といったところである。
地域の人たちの学校への力添えも大きい。本校、分校合わせて二十二世帯であるが、奉仕作業にはほとんどの家で両親が揃って参加してくれる。「子どもら世話になっている」「おらたちにできるこったら」と淡々として仕事を進めていく。子どもたちも親の黙々として働く姿を目のあたりにしているので、よく働くのだろうとも思っている。作業の合い間に「一服すんべいか」と言って校庭の隅に腰をおろし、茶をすすりながら交わすことばの端々に学校を大切にしたい気持ちを汲みとることができる。
学校を中心に地域をあげてやる行事に運動会とともに学習発表会がある。
午前中は児童、午後は本校、分校の親たちがそれぞれ劇を中心に行ってみせる。どの家庭でも夫婦で出演するのが伝統になっている。発表会のために仕事の合い間を縫って練習を重ねる。親睦を深め協力し合う姿は子どもたちへの無言の教訓ともなっている。お年寄りなどは楽しみにしている行事で、手作りの弁当を持って朝早くから会場へ出かけてくる。手製の料理を広げて分け合い談笑しながら食べている様子は幸せ一杯の顔である。
土地柄と言うべきか本当に人情味の豊かさを感じる。いろいろなことが伝承され、子どもたちも自ら体で会得している。子どもたちは自分たちの住んでいるところはへき地などとは決して思っていない。最良の場所と思って通学している。
しかし、地域は過疎化の現象を辿っている。この地に勤務するに当たってへき地・小規模校ならではの父母と教師との人間的なふれ合い、また、一人一人をどのように伸ばすかなど少人数という長所に着目して、心より語りかけ信じ合う教育を大切にしていきたいと思っているこのごろである。
(いわき市立田人第二小学校教頭)
朝の会話から
渡辺孝子
今年もまた園庭にたくさんのチューリップがつぼみをつけ、やさしく園児たちを迎えてくれた。