教育福島0122号(1987年(S62)07月)-027page

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ではあったが、確かに変わっていることが感じられた。口を開くまでは、一年近くかかった。

あれから三年。A子は今中学校で友だちと元気に遊び、部の活動にがんばっている。時には、私のところにも寄って、友だちのこと、学校のことなどを話していく。

 

今、私は、休み時間や昼食時など、子どもとのふれ合いの時間を大切にし、また、楽しみにしている。特に、目立たない子どもに目を向け、その心の中を理解し、その子どもに応じたはたらきかけをどうしたらよいか、心の扉を開けるカギは何かを模索している毎日である。

(富岡町立富岡第一小学校教諭)

 

健康マランン

 

山田明

る考えからか県内各地でマラソン大会が、数多く開催されるようになってきた。

ここ五、六年、住民の健康や体力の増進、さらには、ジョギングブームの高まりによるジョガー(jogger)の増加にともない、大会を開いてジョガーを呼び、地域の活性化を図ろうとする考えからか県内各地でマラソン大会が、数多く開催されるようになってきた。

 

ここ会津でも、六月だけで桐の里リレーマラソン大会(三島町)、奥川マラソン大会(西会津町)、あやめマラソン大会(会津高田町)が開催される。ジョガーにはうれしい限りである。

私は、ジョギングブームに乗り遅れまいと始めたわけでもないし、大会に出て優勝をねらおうとして始めたわけでもないが、走り始めて五年になる。

走るといっても、多忙な仕事の合間に走るわけだから、毎日十キロメートルくらい走りたいと思っているのだが、なかなか思うように走れない。

仕事が忙しい時には、一週間ぐらい休んでしまう。もともと素質があるわけでもないし、そんな練習法だから、大会での上位入賞は期待できない。参加することに意義があるんだと自分を納得させ、大会に参加している。

走ること、それはきらいなほうではなかったが、学生時代に選手に選ばれたことなどなかった。

そんな私でも、大会というものに参加し、多くの仲間と一緒に走れることの楽しさを知ったのは、健康マラソン大会に参加してからである。健康マラソンは、年代別に、自分の走力に応じて、五キロメートル、十キロメートルの距離を走るのである。

参加者は、できれば優勝したいと思っているだろうけど、みんな自分の走力を知っているから、大部分の人は完走をめざしてのマイペース走法である。

三分前にスタートした若い組の年齢の選手を追い抜く快感、三分後にスタートしたはずの年輩の選手に追い抜かれるくやしさ、コース途中での応援や水の差し入れなどのありがたさは走った人でないとわからない。

大会に出て完走すれば、自分のタイムがでるし、完走証や参加賞としてのゼッケンや記念のメダルなどがいただける。それが増えていくのもまた楽しみなのである。

そんな楽しさ、苦しさ、応援の暖かさなどを子どもたちにわかってほしいと思って、毎朝、朝のマラソンで子どもたちと一緒に走っている。

走りながら、いろいろな話をしたり、走る時のフォーム、呼吸法などについてアドバイスをしたりできることは、ふれあいの面でも効果がある。

いつか、一緒に走った子どもたちの中から、小学校や中学校の大会で、優勝してくれる子どもが出てくれることを期待しながら。

 

今、健康・体力の保持増進と、なによりも仕事における気分転換のために毎日、夕方走ることにしている。

「走るのは苦しいが、走れないのはもっと苦しい」ということばを実感として受け止めながら。

(喜多方市立熊倉小学校教頭)

 

赤とんぼ

 

斎藤健

い違いの訂正をしたり、新しい発見をしたりしたことが数あるような気がする。

「夕焼けこやけの赤とんぼ、おわれてみたのはいつの日か」愛唱歌として親しまれ、いく度となく口ずさんだ歌であるが、「おわれて」が「負われて」であるとわかったのは大人になってからである。それまでは、歌うたびに子どもが赤とんぼを追いかけている情景を思い描いていたように思う。大人になってから、こうした思い違いの訂正をしたり、新しい発見をしたりしたことが数あるような気がする。

こんなことをたどっていくと、わからなくて頭を悩ました子どもの頃のことが思いだされる。子どもらしい疑問や新しい発見での感動も数多くあったわけであるが、いまではどちらかとい


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