教育福島0124号(1987年(S62)09月)-036page
な気持ちで協力し、進んで仕事に取り組む姿に表れていた。
5) 交歓の集い
本校の様子をVTRで紹介したあと、体育館でフォークダンスをした。東中学校からの希望で、キャンドルファイヤーのとき本校生が紹介した「ジンギスカン体操」をくり返し練習し、楽しい汗を流した。
6) 別れの会
郡山少年自然の家に別れを告げ、活動班ごとにバスに分乗し志田浜に向かい、ここで別れの会を行った。終わって活動班を解除し、学校ごとにバスに乗って志田浜を離れた。別れるときは、そこここにお互いの別れを惜しむ光景が見られた。
こうして、今回の主活動である合同野外活動は、生徒たちの心に、さまざ
(三) 事後交流の取り組み
1) 十月八日本校生徒(合同野外活動に参加した二十六名と転入生一名)が、東中学校のいも煮会に招待された。秋の空のもと、合同野外活動と同じ班に別れ、それぞれの趣向をこらした料理を囲み、再会のよろこびを味わった。
2) 十月十九日本校の学習発表会に、今度は東中学校生徒を招待し、本校生のリズム劇、器楽演奏、作品展示などを鑑賞してもらった。
その後、両校の感想文や絵を相互に交換するなど、機会を見つけて交流を続けている。
五、交流活動の成果
(一) 東中学校の活動前のアンケートでは、「障害児について知らない」という生徒が多く、ほとんど障害児について、関心がなかったと思える。今回の活動を通して、感じ易い中学生の心で、自分の偏見を悔い涙しているところが印象的であった。この心が、以後の両校の交流活動のエネルギーになっているのであろう。
以下東中学生の感想文を記す。
○東中学校生徒の感想文より
「私はこの交流教室に参加して心の中の何かが変わったような気がします。はじめ対面して妙に気持ち悪い、などとけいべつのまなざしで見つめていました。けれども(一緒に)活動・生活していくうちにこんな気持ちで見つめている自分がなんて情けないんだろう。もっともっと優しくしてあげないんだろう、そう思うようになってきました」(中学二年A男)
「……明るく伸び伸び何事にも取り組んでいるのです。私は、こんな姿を見ていると涙が流れてきてしまいました。その涙は、かわいそうだという同情ではなく、自分が情なくなり流した涙なのです」(中学二年 B子)
「この子どもたちは普通に生まれてくれば、私たちと同じなんだ、と思いつめていた。このにこにこした元気のいい笑顔に、ますます悲しみが深まる。悲しみが深まるたびに残念に思い心の何かがゆれ動く、そう思うとき、みんな同じ友だちと…」(中学二年C男)
「どんな障害をもっている人でも温かい目で見守ってあげたい。思い出に残る交流だった」 (中学二年 A男)
(二) 本校生には、非常に強烈な体験であり、同年代の多くの友だちを得た喜びは大きかった。そしてそのことが、新しい世界の発見となり、ここに、社会的自立へ向けて力強く一歩を踏み出したことを信じる。今回の反省会のことばのはしばしを略記するが、本校生は、ことばや文章の表現が十分でないので、言外にある生徒の心の喜びを感じとっていただければ幸いである。
「キャンドルファイヤーがもっと(もっとも)たのしかったです。いも煮会を待っています」(中学三年 A男)
「おともだちになったのは、のぶゆき君、さとうみつこさん、いも煮会でみんなとあそびたいです」
(中学二年 B男)
「わたしは四班です。じぶんの班で、ほしくん、じんくん、こんどうさん、たかはしさんをおぼえています」
(中学二年 C子)
「よるは、ねむれませんでした」
(中学一年 D子)
六、今後の課題
(一) 交流教育の意義を強く感じるにつけて、交流教育を一時的なものにしないため、学校の教育課程に位置づける必要がある。
(二) 障害児に対する理解は深まっているものの、公共施設など障害児向けでないものが多い。共に生きることのためにも障害児の利用を考慮に入れた施設が望まれる。
(三) 交流教育に、父兄の協力、参加を更に広く呼びかける必要がある。
七、おわりに
本校生徒にとっては多くの友だちができたことそれ自体が喜びであり、それが交流の成果である。
今回の成果を踏まえて、この交流を小、中、高校更に地域社会に広げたいと願っている。
ジンギスカン体操