教育福島0125号(1987年(S62)10月)-006page

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提言

 

PTAは子どもの応援団

 

【筆者紹介】

 

【筆者紹介】

 

阿部真樹・あべしんじ

 

昭和二十一年福島市飯坂町に生まれる。

福島市立湯野小学校、西根中学校、宮城県立白石高校を卒業し、東洋大学ホテル科を卒業。昭和三十九年東洋大学在学中、東京オリンピック選手村に派遣されアメリカ選手団のセクレタリーを勤める。

昭和四十五年

福島市飯坂町潟zテルたかのは専務取締役(現職)

昭和五十五年

福島市立湯野小学校PTA会長(現職)

昭和六十一年

福島市小中学校PTA連合会長(現職)

昭和六十二年

学校法人恵泉学園理事長(現職)

昭和六十二年

福島県PTA連合会長福島県PTA連合会 長阿部真樹

 

戦後PTAが誕生し四十年が経過しようとしている。現在ほどPTAの存在が注目されている時期はないでありましょう。政治や宗教、職業全てが異なりながら一共に児童・生徒の幸せを考えるアクティブな団体、それがPTAである。今「自殺」「校内暴力」「登校拒否」「家庭内暴力」と、留まるところを知らぬ問題行動に父母と教師は驚きを隠せない。

 

県内の小中学生は二十八万四千人。両親の数は五十万人を越す大所帯になっています。この教育の重要な時期に私共会員のなすべき事を改めて考える必要があります。子どもの教育について申し上げれば、一番重要な事は対話であると言えます。おそらく自分の子どもが幼稚園に通っていた頃のことを思い出して頂ければ容易に判って頂だけると思うのですが、「いってらっしやい」「おはよう」「ただいま」「おかえりなさい」「おやすみ」という、こく自然なことばを交していたに違いありません。それが子どもが成長する(大きくなる)に従い、父親の方はそれなりに社会的にも、会社等でも重要なポストにつくようになり、自然帰宅が遅くなったり忙しくなって、家庭内での話し合いが少なくなり、やがてはそれも無に等しくなっていきます。当然の事ながら子どもの学校の事は母親任せになってしまいます。こうなると、子どもが何を考えているかはとても判るすべもないのであります。

戦後強くなったのはストッキングと母親だと言う方が多くおいでになります。父親は、前記しましたが、家庭の大黒柱としてなくてはならないものが多忙なる故か、その場所さえ無くなりつつあります。その結果、家庭内での威厳はなくなり、私たちが子どもの頃に抱いてい

 

 

 


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