教育福島0125号(1987年(S62)10月)-028page
る。山では、町の中で味わえないことがある。いくつかあげてみよう。
一番目は、森林の中を歩くと、とても体調が良くなることである。特に樗林の中は、明るく、植層も豊富で、気持がよい。私の場合、風邪をひいてすこし具合いが悪いようなときに、山へ出かけ、数時間汗だくで登山道を登っていると、いつのまにか治ってしまうことがある。昨今森林浴とよく言われるが、何か森林の中には、自己回復能力を高める物質が、存在しているのかもしれない。
二番目は、朝夕の時間帯の素晴らしさである。一日の山行が終って、ほっとした気分で、テントサイトに座り、コーヒーでもゆっくりと飲んでいる。頬伝う風が、実に爽やかである。夕陽が、あたり一面茜色に染めて、ゆっくりと沈んでいく。こういうパターンに出会うと、きまって、マグカップを高くあげ、夕陽に向って乾杯したくなる。特に、湿原や草原の様な、見晴らし、のよい場所に、テントを張った時は格別である。
三番目は、星空である。町の中では、様々な照明のために、満足に星も見えなくなってしまった。しかし、山の中は違う。天気さえ良ければ本当に降るような星空となる。天の川が、天を二分し、直径十万光年といわれる我々の銀河系を、はっきりと見ることができる。そしてこの光景は、今まで人間が作り出してきたどんな芸術作品よりも遥かに壮大で荘厳であるような気がする。
四番目は、焚火である。焚火のわきに座って、ゆっくり燃える炎をじっと見つめていると、心が落ち着く。人間は、数百万年前に地球上に現れて以来、いつ頃からか火を使用するようになった。そして、今でこそ電気やガスを使用するようになったが、その生活様式は、うい最近まで、焚火利用型原始生活の延長線上にあったのである。焚火を利用していた時代の方が、遥かに長いのである。だから、人間の遺伝子の中には、昔の焚火に対する親和生みたいなものが残っていて、それが心を落ち着かせるのかもしれない。それに焚火は、料理に大変役立つ。一つ紹介すると、玉葱、ピーマン、じゃがいも、里芋等要するに食べたいものを、アルミホイルに包んで焚火の中へほうりこむ。適当に焼けたら取り出し、醤油をちょっとかけて、熱いうちにふうふう言いながら食べる。これは、料理とよべるものではないかもしれないが、実に素朴でおいしいのである。
以上、思いつくままにいくつかあ、げてみた。
現在、日本は、豊かな経済力により、世界に大きな影響力を及ぼすまでになっている。しかし、日本の自然は、確実に悪化の一途をたどっているように思えてならない。自然に対する考え方は、人それぞれ異なるだろうが、このへんでもう一度考えなおしてみる必要があるように思えてならない。
(県教育庁総務課主事)
滑川温泉滝沢の沢登り
楽しみがもう一つ
大江ナミ子
七月のはじめごろであった。夕食の準備をしていると、電話の音。
「Kです。わかりますか」
Kといわれても、友だちあり、親せきあり、教え子あり、見当がつかない。
「ちょっとわかりませんが」
名まえをきいてやっとわかった。九年.前の卒業生であった。祖母の一周忌で帰省したとのこと。
「これから、B君と先生のお宅に伺いたいのですが」
「あら、いいわよ。いらっしゃいよ」
それからがたいへん。家族総動員で、料理にとりかかった。娘は、ボリュームのある肉料理を。わたしは野菜サラダ。おばあちゃんはにしんと山菜の煮つけを。それに冷ややっことつけもの。
テーブルの上がなんとか整ったころ彼らはやって来た。