教育福島0126号(1987年(S62)11月)-024page

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くことになったが今では、現役最古参となってしまった。

自分が選手として最も残念に思うことは、練習場が遠いことである。スピードスケートは四百メートルリンクで行われるものであり、練習のためには、他県に行かなければならないという状態で、費用、日数の関係上、練習量は不足してくる。県大会でさえ、他県の施設を借りている状況である。

条件的に制約がある中で、競技力を向上させ、競技人口を拡大することはたいへん困難なことである。私も何かお手伝いができないものかと考えていたが、そんな矢先、伊達郡川俣町の山木屋地区に、田を利用したリンクがあるとの話を聞いた。

初めは、どんなものかと興味本位だったが、一目見て驚いた。その規模、氷質、地域の協力態勢のすばらしさを目のあたりにしたからである。

冬空の下、寒風や吹雪にまけず一生懸命滑走する子どもたちの姿、積もった雪を竹ぼうきで協力して掃く保護者と子どもたちの姿。これはまさに、私が少年時代、北海道で体験した光景であった。

幸い山木屋小への勤務がかなえられ体育の授業でスケートを指導一年間五時間)することになり、地域との連携により、より効率的な指導を行っている。

練習回数が多いため、子どもたちの技能は向上してきており、スポーツ少年団の県大会や、近県の選手も出場する川俣町スケート大会などでは、着実に実績を上げてきている。いまの小・中学生が八年後には本県選手の中心となるわけだが、この地域のすばらしい取り組み姿勢があれば、その時までには必ず有力な選手が育っているはずである。

スケートの楽しさを一人でも多くの人に知ってもらうこと、また、後輩が少しでも競技力を伸ばしていく手助けとなることを願い、これからも頑張っていきたいと思う。

 

本県開催の七十年国体には、成年二部として出場し、教え子とともにレースをすることが私の夢である。

(川俣町立山木屋小学校教諭)

 

田を利用したリンクでのスケート大会

田を利用したリンクでのスケート大会

 

けじめ

 

佐藤磐雄

 

ずから気分の上で、また、身体の諸機能の活動の上で異なったものであろう。

 

NHKでは、衛星放送により二十四時間態勢で番組を放映し、真夜中でも世界のニュースが視聴できるようになってきた。若者は、夜も活動し、また、二十四時間営業の店も出現している。夜は休息・就寝という習慣が失われつつあるようである。こうなると、一日の始めは、眼りから覚めた朝という旧来の習慣は崩れてしまうことになる。一日の始めは朝であるとしても、終夜活動して朝を迎えた一日の始めと、就寝しさわやかに眠りから解放されて迎える朝とは、おのずから気分の上で、また、身体の諸機能の活動の上で異なったものであろう。

考えてみると、人間の生活の中でのけじめは、古来大切にされてきた。日常の生活上の活動は、節目節目をつくり、そこをけじめとしながら営まれてきた。一年三百六十五日、一日二十四時間、春夏秋冬の四季の移ろいなどが最たるものであろう。日本人は、その折々に、心の潤いを求め、情感を味わい、気分を改め、期待を込め、希望を託してけじめを大事にしてきた。学校教育の場でも、学年の区切り、学期の区別、週のまとまり、一日の中では、日課表による活動、季節的行事やその他の活動を絡ませながら、けじめのある生活を重んじている。夜は休み、朝を一日のスタートとして日中活動し、また、夜は休むという生活を基盤にしながら。しかし、現実には、夜に休まないで活動する時代が到来しつつあるのである。

 

私は、教職に就いて以来、出勤時にワイシャツ、ネクタイを欠かしたことがない。教師という職業は、服装がそういうものだと教えられたかどうか定かでない。ただ、県北の小学校に勤務した頃、校長先生から「教師の服装は、白ワイシャツ、ネクタイをつける。教師の服装も子どもに対する環境の一つである」と示達されたことは印象に残っている。私の場合は、家を出て勤務につく心のけじめとしているのである。一日の勤務の始まりとして、ワイシャツ、ネクタイを着用しないと、心が落ち着かないのである。しかし、最近は、若者らしいセンスのある、華麗で個性的な服装をした新採用教員に接したり、ジーパンや体育用ジャージで出勤する

 

 

 


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