教育福島0126号(1987年(S62)11月)-026page
育成会と共同での「宿泊訓練」等々。
これらの実践は、町広報紙や地元の新聞等にも紹介され、地域の方々にもかなり分校を理解していただいているものと自負していたところだった。
ところが地域の方の中には、分校の先生の顔も知らなければ、近頃は分校に顔を出したこともない。といった声があるのを耳にした。全二十六戸からもれなくPTA会費をいただいていながら、そのようなことでは誠に申し訳ない、何か分校と地域の方全員で交流できる場はないだろうか。そんな思いの中から、浮上してきたのが「運動会」であった。
しかし実現までには多くの難関があった。
一つ 教師にも地域の方にも分校での運動会経験者がいなかったこと
二つ 風疹の流行その他で日程調整が容易でなかったこと
三つ 何より大きな問題は、縦三十メートル、横十五メートルの猫のひたいのような校庭で、どんな種目が考えられるかということであった。
狭いためトラックなど勿論とれない。狭い校庭というマイナス面を逆手にとって、狭い校庭ならではの種目を考えることにした。
体力に応じ大小のタイヤを用意し、それを引いて走ったり、折り返し走にしたり、障害を設けたりした。
また、少人数のため、短時間で終わったり、出場回数が多くなり疲れてしまわないかといった問題もあった。そこで、来賓の方の挨拶を種目と種目の間に入れること、児童による合奏や野外劇を間に入れたり、クイズをしたり、変化に富んだ運動会になった。老いも、若きも、来賓の方も一体となり、全員参加の新鮮でユニークな運動会となった。
中学生、高校生も進んで手伝ってくれ、全地区民は勿論のこと、遠くから孫や息子を呼び寄せた家もあり、地域と分校が一丸になっての運動会といった所期の目的は達成された。
「言うは易く、行うは難し」を痛感した運動会ではあったが、心の中には五月のさわやかな風がよぎっていた。
(長沼町立長沼小学校勢至堂分校教諭)
私の趣味
兼子光了
四月一日、新任教員として浪江中学校に着任して以来、早いもので六か月が過ぎてしまった。この間、毎日の授業に対する教材研究のほか中体連の指導に打ち込んだ。
そうした中でも、学習指導や生徒指導について、自分なりに努力してきたと考えている。しかし、あれほど好きだった趣味については考える暇はなかったことに気がついた。学生時代先輩から「教師になるなら幅広い人間性が必要であり、そのためにも、趣味を持つことは大切だぞ」といわれたことがあり、私はそのことにも心がけてきた。
私の趣味は合唱である。自己紹介などで、「あなたの趣味は」と質問された時、「趣味は音楽鑑賞です」と答える人はだくさんいる。しかし、「趣味は合唱です」と答える人はあまりいないと思う。このあまりいない人の中に私は人る。もちろん、合唱以外の音楽も好きであり、また、合唱も音楽の一部なのであるから、趣味は音楽鑑賞と言ってもいいのだが、やはり、「合唱」と答えている。
その理由は、何といっても合唱が好きだということにつきる。これまでにいくら試験勉強などで、一分の時間さえ大切という時でも合唱の練習があれば、必ず参加し、練習が終ってから徹夜覚悟で勉強してきた。それほど合唱は私にとって切り離せない存在である。学生時代、合唱団へ入団の誘いがあった時、好きなあまりになんとか時間を調整して入団してしまい、気がついた時には五つの団体に籍があり、毎日夜どこかで合唱の練習をしてきた。
これほどまでに私を合唱に引きつけたきっかけは、高校時代に合唱部の指導をして下さった顧問の先生の影響によるものと強く感じている。先生の合唱指導は厳しさそのものであった。しかし、練習を離れるとやさしく、いろいろと親身になって相談にのって下さったので、休まず練習に行った。合唱をしている時の熱気と迫力、そして一体感にだんだん魅力を感じてきたのである。歌い終った時のあの爽快さは、ことばでは言い表せないものがある。
この活動で学んだことは、合唱は自分一人の考えでは成立しないこと。自分の役割を自覚し、団員と合わせていくという協力心が必要であること。指揮者からの指示ばかりでなく、自らが心に訴えるものを創り上げる気持ちを持つことが大切であるということである。
現在、この地の合唱団の存在なども知らず、合唱をする機会など持っていない状況であるが、合唱で得たものを指導の場に生かし、何か一つに打ち込める生徒を育てることに努め、いつの日か、また合唱のすばらしさを生徒と共に楽しみたいと夢みているこのごろである。
(浪江町立浪江中学校教諭)