教育福島0126号(1987年(S62)11月)-029page

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N君に教えられること

 

栗城喜美

 

イトが気になるらしく、式の間中キョロキョロしていて、落ち着かなかった。

 

N君とはじめて出会ったのは、入学式であった。体育館のライトが気になるらしく、式の間中キョロキョロしていて、落ち着かなかった。

次の日から教室のテレビ、OHP、鉛筆削り機、放送室の機械、理科室、給食室……と、次々に興味を示し、休み時間はもちろん、目を離すと学習中もブラブラと出歩くことが多かった。

また、給食運搬車、スクールバス、業者の車などが目に入ると、一目散に走っていった。N君のこのような行動は、日に日に活発になり、私の神経はいつもピリピリのしどおしであった。

 

七月のある日、休み時間にN君と数名の子どもたちが、ぶらんこ遊びをしていた。そうっと近づきN君の背中を押してやった。

「キャー、キャー」

と、大声ではしゃいでいた。それからというもの、休み時間になると、私のところへきて

「先生、ぶらんこのろう」

というようになってきた。

暑い夏がすぎ、二学期になると、落ち着きが見え、学習中も席についていることが多くなり、自分で教科書やノートなど準備するようになってきた。

ところが今度は、

「おとうさんの車にバイバイする」

といって、校舎内に入ろうとせず、通勤途中、学校前を通る父親を待っている。毎日毎日、次々に通りすぎる車に手を振っていた。教室へ連れていこうとしても、てこでも動かない。今日も同じように父の車を待っている。

「おとうさん、なにでくるの」

「おとうさんは、青い車でくる」

それから

「ライトは、車の目玉だよ」

「せまい道路では、すれちがいができないよ」

などと、次々に話し出す。

「チャイムがなったから行こう」というと、サッサと教室に入っていった。

N君は、知能の遅れもあり、入学当時は集団になじめず、一人で行動することが多く、洋服の前後や、くつの左右の区別、身のまわりの整理もできなかった。

しかし、現在は黄色い帽子をかぶり、大きなランドセルをゆすりながら、毎日元気に登校してくる。

 

N君との出合い、そして日々の生活を通して、子どもと接する時間を多くとり、じっくりと話を聞いてやる心のゆとりを持たなければならないことを、N君は、そっと私に教えているような気がしてならない。

子どもは、みんなそれぞれの光で輝いている。その子どもたち一人一人の心の中を理解し、子どもたち一人一人に、どうはたらきかけていったらよいのか、摸索している毎日である。

(西会津町立新郷小学校教諭)

 

多くの人に支えられて

 

根本直人

 

れて無我夢中の緊張感ながら生徒ともども力一杯の演奏をすることができた。

 

九月二十六、二十七日と山形市で開かれた第三十回吹奏楽コンクール東北大会は、例年のごとく盛大に、そして溢れんばかりの熱気に包まれて開催された。創部以来初めて東北大会Aクラスに出場し、部員五十名を引きつれて無我夢中の緊張感ながら生徒ともども力一杯の演奏をすることができた。

 

これまでの過去四年間を振り返ると、六人からの部員集め、楽器不足や練習場、練習時間や運営等多くの問題を抱えながら、そのたびになんとか切り抜けやっとここまでやってきた。そしてその問題解決に当たっては、学校の諸先生方をはじめ、同窓会、後援会、昨年度発足した吹奏楽部父母会の積極的な協力や援助があった。とくに楽器不足の問題は最も深刻であり、その為に奔走してくれた学校側、同窓会の方々のご尽力は大変なものであった。また、部員六十名を越す大世帯では、合宿や遠征時の雑用も多く、そのたびに積極的に協力してくれる吹奏楽部父母会の方々の力も今回の東北大会出場には大きな力となった。

生徒の多様化が進み、その為に文化芸術の果たす役割がいかに大きいかが今現在問われている。しかしその問題は少ない文化部の教師や顧問の情熱だけでは解決できない。生徒の活動を心底理解してくれる学校があり、仲間がいて、また、わが子の活動を常に真剣に見つめている親たちがいて、はじめて実を結ぶものであろう。幸い私たちはその熱い情熱を注いでくれる父兄、理解ある学校や同窓会、後援会に恵まれた。

「本日の最後の演奏は、福島県代表

 

 

 


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