教育福島0127号(1987年(S62)12月)-029page
観点に立てば、このことは「海外の人々とうまく意志の疎通をはかるには何が必要か」ということに要約できると思う。
その一つは語学である。中・高と六年間も英語が課されているのに、大半の場合、日本人は著しく英語が下手だという声が聞こえてくる。私自身、不思議なくらいにそうなので、その訳を少し探ってみた。
去年、ある財団の御好意で県内の高校二年生二十四人とともにアメリカ西海岸で三週間の滞在をした。語学力には自信のない生徒たちだったが、学校では米国人による会話の授業が相当にお気に入りだったし、家庭にもよくとけこんでいた。この時、私は、日本人だけで外国語が教えられると思うのは、一種の傲慢なのだと悟ったが、同時に外国人だけでも日本人を教えられるものではないこともわかった。英語に対する姿勢とか学び方などを、外国人の立場から教えるのが日本人教師の役割であり、これが大きな要であるとの自信を得た。買物をする、道を尋ねる、食事をする、そのほか天気がいい悪いなど、これらは英語力には関係なく何とかなるものだ。とすると、今言われている「使える英語・役に立つ英語」とは何かということになる。中・高で六年間というが、実質時間としてみれば僅かなものだ。この僅かな時間に、「役に立つ英語」など身にっかないと思う。むしろ、それを将来習得していくための基礎事項の習得に全力をあげるべきだ。同時に、語学はやはり大変なのだという認識を生徒に持たせることだと思う。
二つ目は論理性である。四年前の夏、米国東部の大学で英話研修をしていた時に聞いた、生物学のN先生のお話を思い出す。 「この国では、いかに論理的に発表したり報告したり出来るかということが研究生活を左右する」というのだ。日本からの留学生は研究論文が下手で、研究費がもらえず困っているのだそうだ。似たような経験は学校でもよくある。生徒のスピーチ・コンテストの原稿などを苦労して仕上げ、外国人教師に見てもらう時だ。訳すのに一番苦労したあたりに少し手を加えるだけでスキッとした文になってしまうのに、それが私自身ではどうしても見えない。そして論理が展開できないことに気が付く。米国のような多民族の社会では、同質性の高い日本の社会とは異なり、魅力的、説得的な論理の展開だけが相手を論破する方法なのだろう。しかし、国際社会とは、米国のような多民族社会であると思うのである。そうなると、“説明は省いてもわかってもらえるだろう”という考えは通用しなくなる。“理屈っぽく、口数は多く”という社会になるのかも知れない。
三つ目は、礼儀であると思う。この夏には西海岸を中心に、百万人の日本人が米国に居たそうである。ホーム・ステイの学生を中心に、評判はきわめて悪い。日本の学生を二度受け入れる家庭は先ず無いそうだ。日本という共同体の中では礼節を守っていても、その外に出れば、驚くほど無礼であり得るわけだ。国際化とは根深い問題を一つ一つ解決していくことで、上すべりの英語をやることではなさそうである、
(県立若松商業高等学校教諭)
あいさつ
北風幸子
「おはよう」
玄関を開けると、ガラス越しに見ていた子どもたちの「せんせいきたよ」という呼び声で、部屋や廊下にいた子が、
「おはようございます」
と、集まってきます。私のバックや、お弁当を持ってくれたり、きのりの事を一気に話しかけたり、朝の出会いは実に、活気にあふれています。背すじをスクッと伸ばしていたヒマワリも首をうなだれ、せみの声が虫の声に変わった季節……。
私が中学生だったころ、校門の近くに用務員のおじさんの家があり、その姿を見ると私はいつもあいさつをしていました。すると、それがいつの日か家の人の耳に入り、用務員のおじさんがうれしそうに話していたことを聞かされました。普通あたりまえのことが、これほど人を喜ばすのかと、今でも心に残っています。
四月当初、幼稚園の生活に慣れず、泣きながら登園していた子にも、「おはよう」と繰り返すうちに、しだいに「おはようございます」という言葉が返ってきます。元気なあいさつが返ってくるようになるとしめたものです。もうその子は、先生と、そして友だちと手をつないで遊ぶ楽しさを知り、自ら遊べるようになってきます。幼稚園の生活は、あいさつで始まると言っても決して過言ではありません。返ってくる言葉のひびきや、表情でその子の健康状態、心の変化が汲みとれます。あいさつは、子どもとの心のかけ橋です。
塩沢地区は、純農村地帯なので、行き交う人々が気軽にあいさつをかわします。お互いの軽やかなあいさつ、それだけで地域の人たちとのコミュニケーションができてくるからふしぎです。
幼児期は模倣から始まり、しだいに自己を確立していきます。この世に生ま