教育福島0127号(1987年(S62)12月)-031page
のけること数回、数十メートルの断崖絶壁が迫る道路、下を見ると冷汗が流れました。車で三十分位行くと民家がやっと見え、ほっとしたと同時に、大変な所に来てしまったという印象が深く残っています。この分校で四年間勤務することになったわけです。
初めて出会った生徒は二十五名、行儀よく並んで私を待っていてくれました。緊張してか表情は堅く、口は重く言葉は少なかった。日がたつにつれ、放課後になると、きまって山菜とりに私を連れ出し、かわるがわる先頭に立って案内してくれました。生徒の表情は明るく、話題は家の人のこと、友だちのこと、自分のことなど素直に語ってくれました。山菜をとりながら、自然の中で生きる美しさやすばらしさを身をもって教えられました。そして、危険を冒して通勤する苦労がどれだけいやされたことでしょうか。特にS君はなかなか心を開かなかったが、釣大会では、イワナのひっかけを得意になり教えてくれたので、その詳しさに私は感心しほめてあげました。S君はうれしそうにイワナの習性をも教えてくれました。この時から、何事も気軽に話しかけてくるようになり、卒業後も町で会っても親しく話し合えるS君。
お母さん方も毎日給食当番として学校に来られ、昼休みには子どもたちの膜、家庭での様子などを話してくれ、教師と父兄が一体となって教育に当たる姿があり、いじめ、非行などの問題行動などとは全く無縁であったように思われます。
最近の子どもたちは甘えが先行し、我慢する力がなくなり、教師に対しての暴言など当時の子どもからは想像もできない姿が現われています。
現在、教師の生徒に対する認識と対応の甘さが指摘されていますが、そればかりでなく、どちらかというと家庭環境、社会状況の変化に起因していることが多いように思われます。昨年参加した東北カウンセリング講習会では、講師の先生も家庭の崩壊、放任、食生活にも起因するのではないかと指摘しておられました。
現在、本校では、「一事徹底」を指導目標にし、生徒との“ふれあい”を通して生徒理解に努め、他人に対する思いやりの心、美しいものに感動する素直な心、そして、善悪を正しくわきまえて行動できる心を育てることに全職員で取り組んでいます。
あのころの分校の生徒たちの心を思うとき、教師と生徒が自然の中で共に本音で話し合い、その中で一人一人の子どもの良さを認め合うことは、今でも大切だと思います。
(楢葉町立楢葉中学校教諭)
我慢
川向初江
この正月過ぎのことです。ご近所の方に戸を激しく叩かれて目を覚ましました。その前に電話のベルが何度もなったらしいのですが、暢気な私が目を覚まさなかったので、急を要するため親しくしているご近所へ連絡があったのです。
息子が救急病院に運ばれたというのです。眠気もふっとび、教えられた病院のダイヤルを急ぎまわすと、「盲腸炎の手遅れで腹膜炎を起しています。友だちが付添ってきました。今すぐ手術をした方がいいのですが」ということでした。事情がわかって一先ずはほっとし、すぐ手術をお願いしました。そしてただ無事を祈り連絡を待っていると、明けがた近く、執刀した先生から「今終わりました。もう大丈夫ですから友だちには帰ってもらいました。」と連絡がありました。それまでの時間の長かったこと、たかが盲腸炎と思う反面「手遅れ」の言葉で胸を締めつけられる思いでした。
次の日、休暇をとり、始発電車で上京しましたが、真夜中の手術に全力を尽くして下さった医師や看護婦さん、付添ってくれた友だちや、心配して下さった近所の皆さんに感謝しながらも、安心が先に立つと、「腹膜炎併発ならさぞ痛かったろうに、どうして夜中まで我慢していたのか」と一人アパートで腹をさすっていただろう息子を思い浮かべました。子どものころから少々のことには「そんなの、それくらい、男の子だよ、我慢したら。そのうち治るよ」と口癖に言っていたことを息子は忠実に守ったのでしょうか……。
暫く過ぎたある日曜日、取引き先の本屋さんが来ました。私より一回りも年下の本屋さんですが、お茶を飲みながら、「近ごろの若い者は我慢が足りないね」と若い人には仕事への我慢も情熱もないとぐちるのです。その本屋さんは、「我慢には、いい我慢と悪い我慢がある。いい我慢はするべきだ、それは目的に向かっているから、しょうと思えばできるはずで、必ずいい結果が生まれる」といいました。
確かにスポーツ、進学、就職など各々の目的のための我慢(努力)がそれなのでしょうか。とすれば悪い我慢とはなんでしょう。