教育福島0127号(1987年(S62)12月)-032page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

園児がよくお漏らししてしまった時「どうして我慢していたの、我慢してないで早く先生に言うのよ」と私どもは決まり文句のようにいいます。

幼児は自分なりの懸命な我慢が、後で人の世話や、迷惑になろうなどとは考えられないことでしょう。

 

すっかり回復し、「アルバイトをしているよ」と元気な息子の電話に安心しながらも、今度帰省したら、「我慢も時によりけり」と話しておかなければならないと思いました。

真夜中に救急車の世話になり、友だちや近所のかたにまでご迷惑をかけた息子の、妙な「我慢心」を思うのです。

(いわき市立すずかけ幼稚園教諭)

 

更り

 

高木 仁

 

のあまり、一気にその便りを読んで、一瞬、強い緊張感と感動を受けました。

 

例年になく長い梅雨で、やりきれない毎日が続いた七月中旬の休日に、一通の葉書がわが家に配達されました。日常は会議の知らせや広告、電話料の通知など味けのないものばかりだが、珍しく柔らかで、素晴しいペン字で書かれた便りでありました。久しぶりに手紙らしい手紙にふれた嬉しさのあまり、一気にその便りを読んで、一瞬、強い緊張感と感動を受けました。

この便りは、九年前Y中学校で教えた子どもからのもので、その中にこんなことが書かれていました。「先生、お久しぶりです。お変わりありませんか。私も元気で大学四年生となり、今月末に郷里の高校教員をめざし、採用試験を受けるつもりです。そして、今、立派な教育者として子どもに慕われる先生になるため、若さをぶつけて一生懸命にがんばっています。この気持ちが持続できたのも、『後ろ姿の美しい人』、『みんなは一人のために…一人はみんなのために……』という、先生のあの素晴しい名言があったからだと感謝しています。これからも子どもたちを励まし続けて勇気づけてやって下さい」

この一通の葉書を読んで、日頃、何気なく話していた言葉が、こんなにも子どもたちの心をとらえ、大きな感動となって残っているのかと思うと、今さらながら私たち教師は、自らの言動に重大な責任と信念を持たなければならないことを痛感し、身のひきしまる思いをしました。

もし、私がうっかり言ってしまった言葉が、一人の子どもをどんなにか傷つけていはしないかと思うと、異常なまでに不安を覚え、今までにない複雑な興奮と焦りを感ぜずにはいられませんでした。それでなくても、日々子どもたちと否応なく言語活動を繰り返す私たちは、何気なく表現する言葉が大きな意味を持つことを、自覚しなければならないことを教えられました。

教職二十六年目に手にした、教え子の便りに教えられて初心にかえり、今までにも増して、言動に注意しながら慣れや惰性に陥ることなく、新鮮さと愛情を大切にして、「きれいな服を着ることより、着る人をきれいに見せる服を選ぶ力」を身につけさせ、また、「一人の喜びがみんなの喜びとなり、励まし合って強く生きる力」が育つよう、これからも良い環境づくりに力いっぱい励んでみたいと思っています。

幸せにも現任校は、十五年ぶりに戻ってきた二度目の勤務地でもあり、若かりし青年教師時代を過ごした思い出多い地区でもあるので、地域の協力を得、喜びを肌で感じ、充実した学校生活を子どもたちが送れるよう、微力ではあるが、これからも「出会い」と「励まし」を大切にした教育に専念し、より慕われ信頼される教師になるよう精進したいものだと考えています。

(いわき市立小名浜第二中学校教頭)

 

子どもとともに

 

子どもとともに

 

陣野千代子

 

桙取り除こうと放課後の個別指導を試みるが、K君はかたくなに心を閉ざす。

 

勉強があまり得意でないK君に出会ったのは半年前のことだ。毎日の学習が苦痛となっているK君は、授業中に突然奇声を発したり、友達に嘲笑をあびせたりするのであった。K君の一声に、学習の雰囲気は一転し、無気力状態になることがしばしばだった。そのためか、不満が不満をよび、子どもたちの心も協調性を欠き、毎日叱りつけることが多い日が続いた。なんとかK君の不満を取り除こうと放課後の個別指導を試みるが、K君はかたくなに心を閉ざす。

本当は、心の穏やかな時は明るく素直なK君であり、他の子も口調はあらいが、一人一人は心良き子たちなのである。この子たちに大事なことは、学習に自信を持たせることであり、叱られ慣れているからこそ、賞めることを

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。