教育福島0127号(1987年(S62)12月)-033page
多くし、暖かい心のつながりを持ちたいと考えた。そのために日記を通して一人一人に語りかけることを始めた。
けれども、その効果はなかなか表われず、「今日こそは」と思い、いさんで教室へ入るがうなだれる日が続く。そんな時、私はふと数年前のあの日を思い出した。
当時、教員三年目、しかも器楽に関しては全く門外漢であった私は、合奏部の指導を任され困惑したが、私を信じ、ついてくる子どもたちを目の前にし、動揺している暇はなかった。友人、知人宅を幾度となく訪れ、レコード、資料をあさった。まさに、子どもが一歩進むなら、教師もその前を一歩進むという日々の連続であった。
そして、「努力はきっと実る。やれるだけやろう」を合言葉に、児童とともに一丸となって、朝に、昼に、放課後に猛練習を積み重ねた。しかし現実は厳しく、猛練習のかいもなく、大会では入賞を逸してしまったのである。
すっかり落胆している子どもたちを前に、「努力の空しさ」を教えてしまったのかという痛みだけが心に残った。
ところが、春、三月。校舎を去ろうとする私の目の前に合奏部の数人の子たちが、
「先生、あの時はがんばったね」
とかけよってきたのだ。結果はどうあれ、子どもたちが本気で練習したあの数か月を価値あるものととらえてくれたのだ。私はこの一瞬を終生忘れない。
先日、校内絵を描く会が行われた。面倒くさがっていた子どもたちが十数時間を費して、ついに絵を完成させた。
「先生、僕の絵できたよ。ほら、すごいだろう」
と満足そうな笑みを浮かべたS君やK君たちの言葉に、私の心も一瞬にして
教師が目の前の子どもをどうしたいか本気で願い、そのために、まず教師自身が己を変える努力をし、児童とともに悩みながらも、ねばり強く問題の解決にあたっていけば、きっと子どもはわかってくれると思う。
今日も私ばK君に語りかける。「あきらめるな。あきらめてしまったら終りだ」「やればできるのだ」と。
(矢祭町立石井小学校教諭)
私の勤める学校
宮西輝明
関本小学校は、阿武隈山地の山あいにある全校児童数百八十名足らずの小さな学校である。山の中にあるとはいえ、一昨年度に新校舎が落成したばかりの、大変きれいな学校である。
私は、本校で三校めの勤務になるが、それぞれの学校での、様々な特色ある教育活動や、職員集団に接しながら、自分の教育実践に少しでも生かそうと努めてきたつもりである。
この様な目で本校を見ると、様々な点で素晴しい学校であると言える。
まず、私が知らなかった教育実践が数多くなされている事である。その一つに食堂形式での給食指導がある。前の学年で指導されてきた事をそのまま引き継ぎながら、朕のみを強いてきた指導では考えられない教育的意義があった。
二つめに、自転車大会を通しての交通安全教育の充実である。全国大会で優れた結果を出すまでの実践は、子どもたちの持つ能力の可能性を、決して一面的にとらえてしまってはならないことを教えてくれている。本校の正面玄関に入ると、入賞賞品の自転車が置いてあるが、その傍らに、
「やれば、できる」
という言葉が朱記されている。自転車に限らず、子どもたちの意識を、やればできるという自信に満ちた気持ちにまで高めてやるのが、私たちの指導だとすれば、大変ではあるが、やり甲斐のある仕事だとも言える。
また、本校には、新校舎落成と同時に「多目的ホール」が設置された。多目的ホールがある学校は、初めての経験である。その活用の仕方については、まだまだ研究の余地があるが、子どもたちの学校生活に、様々な影響をもたらしているのは確かなようである。
例えば、全校朝会や終始業式などの集いは、ここを利用している。全校生と全職員が普通教室に集まっているような雰囲気で、体育館や校庭で行うような威圧的な情景は見られない。
また、図書室のかわりに、ホールの一部に書架が設置されている。もちろん出入り口はない。子どもたちが、きれいなカーペットの上で、自由に閲覧している姿が、大変ほほえましい。
子どもたちの生活環境もまた特徴的である。山間部で、しかも学区が広く町内の半分を占めているという条件から、高学年以外は、スクールバスを利用している。学級内の友だち同士でも、家が離れているため、地域内で遊ぶことは少ない。したがって、子どもたちをとり巻く環境、とりわけ学習環境の大部分は、学校ということになる。一時間、二時間の授業が、子どもたちの学力におよぼす影響は、極めて大きいと言える。
美しい校舎の中で、研究熱心な先生方と共に、つたないながらも少しでも実践を積んでいきたいと思うこのごろである。
(常葉町立関本小学校教諭)