教育福島0129号(1988年(S63)02月)-049page
博物館ノート
墓が語る文化史
−墓料遺跡−
墓料遺跡は、会津盆地の北東部、会津若松市一箕町にあります。また、近くには有名な会津大塚山古墳があります。
一九七一年の四月、近くの農家の方が、耕作中に土器を発見したことを契機に、これまで四回の発掘調査が行われました。このようにして、本遺跡が弥生時代の「再葬墓」遺跡であることが分かったわけです。
再葬墓とは、遺体を何らかの方法で白骨化させ、それを土器に入れて再度埋葬するという墓の呼称です。このような墓は、今のところ南は静岡県、北は宮城県の白石市まで分布しており、五十箇所
程の遺跡が知られています。再葬墓は、地面に径一〜ニメートル程の穴を掘り、そのなかに数個、多い場合には十数個の土器をいっしょに埋めるということで特徴づけられます。穴に埋められる土器は、埋葬用として特別に作られた
ものは少なく、日常使用していたものを転用していたようです。穴から発見されるものには、土器のほかに、石器、管玉などの副葬品があります。また、土器の中には死者が生前好物だった品などを入れて供えたことが想像されます。
墓料遺跡からは、一九八○年の調査の際、六基の再葬墓が発見され、そのなかから、計十六個の土器がみつかりました。総合展示宝・原始「再葬の墓」に展示されている模型は、その際発見されたある一つの再葬墓に、どのように土器が埋められていたかを見ていただこうというものです。この穴には、五個の壷が入っています。それぞれの壷には様々な文様が施されており、一つ一つに、当時の人々の息吹が感じとれます。
では、墓に葬られた人々は、いったいどこに住んでいたのでしょう。今までの調査では残念ながらその問いに対する答えは得られていません。弥生時代には、居住の場と、墓域を明確に区分していることから考えれば、「墓料ムラ」の人々は、ここからやや離れた所に住んでいたのでしょう。
墓料遺跡に限らず、開発の波にややもすると押し流されてしまう祖先の文化遺産。私たちは出来る限り、それらの貴重を遺跡・遣物を保護し、子孫に末永く伝えたいものです。
蕃料遺跡出土の土器
再葬墓における土器の出土状況(模型・総合展示室)
墓料遺跡出土の土器