教育福島0130号(1988年(S63)04月)-027page

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随想 ずいそう

葉書中毒

遠藤 則子

 

く。「筆まめだね」とよく言われるが、懸賞用も含めて、月に三十枚は書く。

 

女性のバックの中身が、しばしば男性の話題にのぼる。私のバックの中に必ず入っているものに、郵便葉書と切手がある。少々かさばっても、いつも入れておく。「筆まめだね」とよく言われるが、懸賞用も含めて、月に三十枚は書く。

大好な”いわさきちひろ”の絵葉書に交じって、最近訪れた犬吠崎の絵葉書、それに、エコー葉書。これは、よく利用する郵便局で、「いつものあるよ」と声をかけられて買ったスポンサーのデザイン入りで五円安いもの。その他、去年の残りの「かもめ一る」と、優に文庫本一冊分はある葉書をたえずバックの中に入れて持ち歩く。そして、少なくなってくると買い足す。また、旅に出て真っ先にするのがその土地の絵葉書を買うことであり、デパートに寄って一番先に行く所が文具売場のいつもの葉書コーナーである。変わった葉書を見つけては、これはだれそれに、そちらはあの君専用にとたくさん買い込む。それでも不足すると少し気の利いた厚紙で私製葉書をつくる。

「さあ書くぞ」と構えて書くことではなく、おもむろにペンを取り出し、思い入れの少ない口語調の文字の羅列にすぎないが、ただただ書く。そしてポストヘ。だれあてにいつ書いたのかどこで投かんしたのか忘れたころに、気の抜けた間のあいた返事が届いたりする。そして、そんなこともあったのかと少し前のことを思い出す。おいしい酒の肴ができると、酒飲み亭主に困っている専業主婦にその料理のレシピを書き、コンペで優勝の小さな記事を見つけては切り貼りして当人に送り、また、「番狂わせで万馬券出る」のニュースを聞いては競馬好きの友に一言といった調子である。

時にはあて名の下にアンダーラインを引いて書き足すこともあるが、郵便葉書の小さな紙面になんと多くの情報や考えを書き入れられることか。しかも四十円という安さで、それも、ただポストに投げ入れるだけで届けてもらえるなんて……と、いつも郵便配達人には感謝の至りである。

今の世の中、電話の普及が著しく、我家にも三台あり、そのうちの一台が私専用にと台所にあるが、急用以外には使ったことがなく、専ら、息子たちの長電話に奪われてしまっている。相手の存在を確めて、今、電話に応じられる状況か承諾を得てから話し始めなければならない電話より、相手の意向はお構いなく、好き勝手に自由にこちらの言い分を伝えることのできる葉書の方が、私には便利である。

こんな私を知ってか、使い残しの黄ばんだ葉書を送ってきて、「これに書いてくれ」とか、しばらく書かないでいると「最近、どうしたの」と遠慮なく葉書を請求してくる友もいる。

昼休みに職場で書く。自宅で家計簿のあとに書く。はたまた待ち合わせの店で書くというように、葉書に書くことは、私の生活の一部となり、ますますこの中毒からは抜け出られそうにない。昨今有名になった「クロッカスが咲きましたという書きだしでふいに手紙を書きたくなりぬ」の俵万智さんも返事を期待せず、あてもない手紙をよく書くと雑誌で話していたが、やはり中毒なのかと安心している。

(矢吹町立矢吹小学校副主任栄養技師)

 

野焼き

石岡 栄子

 

あぶりと地面の水分を蒸発させる「から焚き」を一時間程やり、火をおとす。

 

「八時四十分に点火します。自分の作品を持って校庭に集合しなさい」という放送を合図に、全校生二百五十余名が粘土でつくった、土器、埴輪、植木鉢などを大事に抱え校庭に出してきた。積み重ねた薪の周囲に子どもたちの丹精こめた作品を並べ、六年生の児童が点火。いよいろ野焼きの始まりである。縄文人と同じ様にして焼き物をつくるのである。傍らには父兄が小型トラックで運んだ木片や技、根っこなどの燃料が山積みされている。炎の中に木をどんどん投げ入れ、作品のあぶりと地面の水分を蒸発させる「から焚き」を一時間程やり、火をおとす。

 

 

 


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