教育福島0130号(1988年(S63)04月)-031page

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といった、私には格別と思われる歌もたくさん詠まれた。

凡そ世の「歌よみ」といわれる方々の眉をしかめさせるようなものばかりであるが、そこは歌語に習熟していない初心者ということで割り引いて詠まなければならない。

しかし、文芸とは自己の表現であり人間の真の姿を描くものであるとする文芸観からすれば、生徒たちの押えがたい心の「叫び」が表われていて人を動かす作品であると思う。加えて夢見がちな女子生徒の歌にさえ歯が浮くような甘い歌がなかった。自己の日常への洞察は浅いにせよ、学校生活や地域の自然が多く歌材に選ばれていたことはうれしいかぎりである。毎日の生活、とりまく自然が歌われたということは、大地にしっかりと根をおろして生きている証拠であろう。

生徒たちの歌は楽しい。歌いたいことを歌っている。素朴な心が人を動かす。自己を歌うべし、自然を歌うべし、世界を歌うべし、その次代を担う手の指をもって歌を数むべし。

(会津若松市立湊中学校教諭)

 

石の語らい

 

石の語らい

山田 和彦

 

ものは、棒術に使用されたりするので一時別な場所に収納して置くしかない。

 

教室の掃除用具入れには、常に配備された用具が一点も欠かさず納まっているとは限らない。特に箒は変動する。種類の違う物が入っていたり、長い柄が短くなっていたりする。柄だけになったものもある。柄だけになったものは、棒術に使用されたりするので一時別な場所に収納して置くしかない。

 

学年末を控えて用具の整備にかかることになったが、その日の掃除当番の責任を果たしていない生徒を残して二人で整備することにした。

「どうしたらいい?」

「短い柄の箒は穂がまだ使えるので長い柄があるなら取り換えたらいいと思います」

「それはいいね。長い柄とそれから他に何が要る?」

「レンチが要ります」

そこで、くだんの長い柄とレンチのあり場所を教えて換えてもらうことにした。

長い柄は職員室から持ち込み、レンチは用務の先生から借りて来た。

手際良く穂を外し、長い柄に取り付ける。ボルトの頭が回るのを古い柄のボルトのへこみで器用に押さえ、ナットが緩まないように、捻じ切れていた古い金具の取り付け部分を挾み込んで締めていた。意外の感があった。

この生徒は一年間に三度も特別指導を受けていた。平気で嘘をつき、きまりを守らないことでよく注意され、集団行動は緩曼で他に迷惑をかけるし、人間としてどこに信頼がおけるのか見つからないでいた。だがこの修理の知識は信頼に値するものであった。遅れ馳せながら、この生徒の広がりが初めて見えて来た感じがした。私は視点を変えねばならなかった。

 

もう三年前になるが、同僚を通じて「水石(すいせき)」について教えを受けていた。「水石」は自然石の姿に天然の景を見、水盤や台に載せて味わい楽しむものである。ほぼ十五年前にブームは去ったそうだが、私は幸い任地の近くに水石の産地として知られた只見川が在り、数えきれないほど川原に通うことになった。

形に成りそうな石を拾いあげ、それらの中から二、三個を持ち帰り、良く洗って水盤に載せ、位置を定めて味わいを見るのである。名石は得難い。多少心で補えば鑑賞できる石を残し、他は庭に下ろすが、庭は石だらけとなる。気に入った石を時に載せ替えて楽しむ。

残した石もやがてつまらないなと思えてくる時があり、また一度庭に下ろされた石でも、違った見方で良さが見直され、床の間に飾られることもある、道の先輩によって良さが見い出されることもある。位置を変え、趣向や見方を変えることによって、今まで隠れていた良さが初めて光を発してくるのであろう。

人間の場合も似ているなと思う。

私はこれからもきっと川原に通うことだろう。

(県立会津農林高等学校教諭)

 

新校舎竣工

松本 哲夫

 

ついに、新しい校舎が完成した。こ

 

ついに、新しい校舎が完成した。こ

 

 

 


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