教育福島0130号(1988年(S63)04月)-033page
育の原点に立ち返った思いがした。
また明日から生徒たちと囲碁の楽しさを求めて、パチリパチリと碁盤を間にして対話し続けようと思っている。
(福島市立吾妻中学校教諭)
生徒指導の中から
結城 久直
私は、現在九百五十名の生徒のいる、石川町立石川中学校に勤務している。
本校は、東北有数の施設・設備の充実した中学校として知られている。例えば、四百メートルトラックの陸上競技場、テニスコート七面、野球場、武道場など、大変、恵まれた施設であり、このなかで生徒たちは、のびのびと毎日の生活を送っている。また、運動もさかんで、昨年度の中体連では、全種目が、県南大会出場、東北駅伝大会では第三位と輝かしい成績をおさめることができた。私は、生徒指導を担当して三年目になるが、今のところ生活指導にかかわる大きな問題は発生していない。しかし、毎日の学校生活の中でいろいろ考えさせられることが数多い中でも、このごろの子どもたちは、金銭に対しての感覚や、物を大切にするという意識などが、低下しているのではないかと思う。
週に何度か週番教師などによって、
「○○が落ちていました」とか「○○の忘れ物がありました」という校内放送がなされている。細かいものではハンカチ、シャープペン。中には学帽腕時計や現金などがあることもある。このような放送をしても、落とし主が出てこないことも数多い。また、まだ使えるエンピツや消しゴム、定規なども、ごみ箱に捨てられていることもある。物を大事にしていないのである。子どもたちは、なくなれば、こわれれば、すぐに購入できるという意識なのである。大事に使うとか、直して使うとかはしないのである。結局、お金が物事を解決してくれるという考えが根底にあるのだろう。
昨年度の三学期の始業式に、クラスの生徒にお年玉について尋ねてみた。驚くばかりの額である。四万円、五万円、という声がきかれ、私は、ため鳥が出るくらいだった。お年玉の使いみちはと尋ねると、自由に使う、好きなものを買う、貯金するなどである。使い方にはいろいろあるが、子どもが、多額の金銭を自由にできるのは事実である。近ごろの子どもの遊びも必ずと言って良いほどお金がかかり、持ち物も高価なものを手にしている。例えば、テレビゲームである。三千円ぐらいのカセットを十本以上もっている子どもも少なくない。また、学校で見られる問題行動も、金銭がらみのものがたくさんある。
今、子どもが成長する中で、品物や、お金より、もっと必要なものはないのだろうか、毎日の生徒たちとの生活の中から、つくづくそのことを考えさせられている。
(石川町立石川中学校教諭)
子どもと共に
伏見 裕子
「先生、今日は、お父さんからよ」と、嬉しそうに連絡メモを見せてくれた丁子。『夕べは、店が忙しかったのですが、娘に遅くまで片付けを手伝ってもらって助かりました』と、初めて父親が担任に書いた娘のいいとこさがし便りである。
ともすると、親は、子どもの欠点ばかり目につくもので、
(あたりまえのことではないか−)
(わざわざ先生に知らせるだなんて)
(過保護じゃないか)などの声もきっとあるに違いないと思っていたので、母親ならともかく、珍しく父親からの便りに『うれしい!』と大きく返信の最初に書いてしまった。
『どんないじ悪な子にだっていいところがある。その子のいいところをさがして仲良しになろう−』
と、昨年、子どもの書いた作文がきっかけで“いいとこさがし”が、学校に家庭にと広がっている。(先日は、『老人会で嫁姑の問題にこの作文を参考に話させてもらいました』という安達町の人の新聞への投稿もあってびっくりしていたところである)
どこの学校にでも、けんかっ早い子、いたずらな子、泣き虫な子など、担任の手を焼かせる子がいるものだ。でも、そんな子たちがいるからこそ、学級が成り立ち、楽しくもなり、学校生活が豊かになるような気がする。
成績のいい子、元気がありあまっている子、力持ちの子、几帳面な子、給食を早く食べ終わる子……。どの子にも出番のチャンスがあるのだ。学習の遅れ気味な子に教えてやりたいから、