教育福島0132号(1988年(S63)07月)-029page

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一枚の年賀状

平子和子

 

てください」追伸、先生、今年も迷える中学生を相手にがんばってください。

 

「先生、お元気ですか。−ところで、こんな私が目指している大学の学科は何だと思いますか。何を隠そう、養護教諭学科です。先生の影響で私の進路が決まったんです。合格したら飛んで行きますので待っていてください」追伸、先生、今年も迷える中学生を相手にがんばってください。

これは、お正月早々、ある卒業生から届いた一枚の年賀状です。彼女は、中学校生時代、保健体育常任委員長をつとめた生徒でした。

正直言って驚きました。「エッ、あの子が?」私は嬉しいやら不安やら、心中穏やかではありません。

そんな便りが届いてから三カ月後、年度末の行事に追われながら、あわただしい毎日を過ごしていたとき、彼女は、突然私の家を訪ねて来ました。

「先生、合格しました。平子先生目指してがんばります」と、遠路はるばる報告に来てくれたのです。

すごく頼もしく、幸福な気分になりました。私の姿を見て、私の影響を受けて、私と同じ道へ進もうとしていると言うのです。自分自身を振り返って彼女等が中学生だった時分、一体何をしてあげたのかしら。どう考えても思い浮かびません。かえって、彼女等に励まされ、助けられたことの方がはるかに多いのですから……。

それなのに、同じ道を歩むと言うのです。

思いおこせば、私とて養護教諭としての経験は、まだまだ浅く半人前。今だに迷える毎日なのです。

私は、一枚の年賀状、そして彼女の話す表情を見て、心のひきしまる思いでいっぱいでした。目標に向かい、それを達成し、そしてまた、新しい目標に向かって歩み出そうとしている生き生きとした姿を見て、「がんばるぞ、この子たちに笑われないように」と思いました。

考えてみれば、生徒にとって教師は指導者ですが、ある意味では、教師にとって生徒は、指導者なのかもしれません。

こんなことがあってから、私は教師、そして養護教諭としての責任を痛切に感じました。日頃の何気ない私たちの言動を生徒は実によく見、、実に多くのことを感じとっているのです。

これまでの私は、「根性なし」で、どちらかというと楽な方へ身をよせ、現在に自己満足をしてしまうという傾向が多かったのですが、彼女から教えられたことを心の糧に、年齢や経験だけでうぬぼれることなく、初心を忘れず一日一日を大切にがんばっていかなければならないと、改めて感じました。

やがて、彼女と同じ立場で話し合える日を楽しみにしながら、養護教諭としての職務に励んでいる、今日この頃です。

(いわき市立赤井中学校養護教諭)

 

警報ランプ

久保恒義

 

頭をかきむしる。そこでまた、止めると、今度は、親指の付け根をひっかく。

 

側頭部を激しくたたく。それを防ぐと眼上をたたき、くま取りができる。医師のすすめでヘット・ギアを装用すると、その透き間から頭をかきむしる。そこでまた、止めると、今度は、親指の付け根をひっかく。

十年ほど前、国立久里浜養護学校に勤務していた時、そんな子どもがいた。重複障害児の場合、子どもによっては、一日の生活で最も目立つが故に、どうしてもわれわれの目は、こうした自傷行為に集中しがちなものである。しかし、こうした振る舞いは、おそらく当人の内的状態(空腹、眠気、膝の上に居たいなど)と世話する側の応対との相互関係から発生し、当人も世話する者も状況に適切に対処できないことに対する激しい怒りと悲しみの現れと見ることができる。世話する側の応対が確かな時には、この種の行動が減少することから、それは明らかである。

私は、このような問題と見える行動を考える時、閉鎖系、開放系という熱力学の概念を思い出すのである。例えば、時計は外部から情報やエネルギーを与えなくとも、ゼンマイや電池が働く限り、動き続ける。こういうものを閉鎖系という。他方、生きとし生けるもの(以下、生体という)はといえば、食物、空気、光、情報といった外部環境のあらゆるものを出し入れし、交換しているという点で開放系に当たる。

ところで、自然界の変化を説明するのに有効だった熱力学の第二法則、つまりエントロピー増大の法則では、生体の生命活動がうまく説明できないのである。ちなみに、水の中に入れられた砂糖は、自然に溶けるが、再びこの両者が自然に分離することはない。死

 

 

 


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