教育福島0132号(1988年(S63)07月)-031page
物を大切に
吉田由里子
今の子どもたちは、物を大事にしないとよく言われているようです。
日本は、経済的にとても恵まれた国であり、日常の生活用品のすべてを見ても、っぎつぎと出廻る新製品に追いまわされて生活しています。大人ばかりではありません。子どもたちのほしがる玩具、文房具などにもよく反映しています。
このような生活環境の中で、子どもたちは、欲しさのあまり手に入れた物であっても、一寸の間だけ楽しんで放置したり、惜し気もなく捨てるなどいつのまにか、物の価値に無関心になってきました。
おまけシール欲しさにチョコレート菓子を買っても、菓子は食べずに、すぐ捨ててしまうような子どもが増えているようです。それは、物に恵まれ過ぎている今の社会環境が、物を大切にする、心までも、だんだんと失わせつつあるからではないでしょうか。
園生活の中で、ハンカチや靴下などの落し物が増えてきました。繰り返し、落した子どもに呼びかけても「みつかった」と、安心した表情で申し出る子どもは減少しており、園だよりで記名をお願いしたり、参観日に話してもお母さんの中には、「お母さんが物を大切にする心構えを持つことが、子どもが物を大切にする心を育むことにつながる」という趣旨が理解できない方もあるようです。
空き箱、空容器などの廃品も子どもたちの創意工夫で楽しい遊具となり、自分たちで考え、友だちと協力して創りあげた作品は丁寧に扱い、遊ぶ表情は生き生きしています。そうした作品を持ち帰った時は、捨てたりしないで子どもの心を大事にしてほしいと、保護者によびかけています。
物が少ない時代に育った私は、本、文房具、ランドセルなど、こわしたり破いたりしないよう大事に、大事に、一つ一つの物を使いました。短くなった鉛筆も、捨てるのが惜しくて、顔を描いて人形のように箱に入れておいた思い出もあります。
偏食がちの子ども、机の下に嫌いなおかずを落してしまう子どもたちを見るにつけ、小学生時代、昼食時によく「弁当を忘れた」と言って鉄棒で遊んでみんなの食べ終るのを待っていたN君、家庭の事情で弁当を持ってこれなかったN君の気持ちを思い出します。
物があふれ、季節感のなくなった野菜や果物を口にするたび、.物が少なかったからこそ、物の有難さや食べ物のおいしさが味わえたことは、幸せだったと思います。
子どもたちには、折に触れてこうした体験を話し、物を大切にする心が、優しさや思いやりの心を共に育んでくれるものなので、いつまでも持ち続けてほしいと願っています。
(小野町立小野新町幼稚園教諭)
わが娘たち
白井初枝
「お母さん。お帰りなさい」
ダダダッとかけよってくる二人の娘を抱き、赤いほっぺたにほおずりするのが日課となっています。「お母さん、お仕事ご苦労様」おしゃまな長女のこんな大人びた言葉を聞くと何だか不思議な気持ちです。長女を出産した時、「世の中の母親は、こんな苦痛を経て、子どもを生み育てているか」と感動したものですが、その時からたった五年で、もうすっかり一人前(?)になってしまうのですから。
「まったくもうお母さんはだめなんだから」
「お母さん大好き。腕枕して」
「お母さんの作ったお弁当なら、何でもうまいよ」
本当に口もうまくて、やられてしまいます。入園式では、となりの子を「静かにしなさい」とご指導したとの話を聞き、さすが血をひいていると苦笑してしまいました。
下の娘は片言しかしゃべられないのに、言っていることは何でも分かり、姉と同じことをしたがります。
ごはんも自分で食べたがり、そこいらじゅうごはん粒だらけにします。おもちゃの取り合いに負けては、じだんだふんで泣き叫び、水をくれと指をさして命令し、高い高いをしてもらっては、キャーキャーはしゃぎます。その声、表情、しぐさがとてもかわいいさかりです。
はじめは、親としての余裕もなく、自己中心的な育児をしていましたが、予どもが笑い、歩き、ことばを発するその成長に驚き、感動させられるたび