教育福島0132号(1988年(S63)07月)-057page

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博物館ノート

古代の会津の先進性を証明

会津大塚山古墳

会津大塚山古墳は会津盆地の東側にある高さ三十メートル程の独立丘陵の頂上に築かれています。前方後円墳で、長さが九十メートルと考えられてきましたが、実際にはもうすこし大きいようです。東北地方では三番目か四番目の規模をもつ巨大古墳になります。

昭和三十九年、後円部か東北大学者古学研究室の手によって発掘調査され、一つの木製の棺の痕跡の中から多くの古代の宝物が出土して人々を驚かせました。

主な出土品には日本製の三角緑神獣鏡、三葉環頭大刀、霊力をもつ文様で飾った靱(矢を入れて背負う道具)、靱にいれられていた銅製や鉄製の矢の先端、管玉や勾玉で作られた首飾り、鉄製の農工具などがあります。

中でも三角縁神獣鏡は古墳に葬られた古代の会津の王者が儀式の際に大陽の光を反射させるなど、人々を恐れさせるために用いられたと考えら九ます。また、この鏡は当時の大和政権から同盟、又は服属の証として与えられたもので、古代の会津の王者が東北地方の中でいち早く中央政権と政治的な関係を結んだことを証明しています。

鏡以外の出土品もほとんどのものが畿内で製作されたもので、古墳の主が必要に応じて中央の文物を手に入れることができる立場にあったことを示しています。

会津大塚山古墳が築造されたのは四世紀の末項と考えられています。発掘調査が行われた頃、古墳時代の東北地方は蛮族の住む未開の地と言われることが多かったのですが、会津大塚山古墳の調査によって、すでに古墳時代のはじめの頃から畿内と同じ質をもつ文化が東北南部に根づいていたことが明らかにされたのです。

会津大塚山出土島は国の重要文化財に指定されており、会津松市教育委員会が所有していますが、現在は古墳時代の代表的な質料として県立博物館総合展示室で展示しています

三葉環頭大刀 (会津大塚山古墳出土)

三葉環頭大刀 (会津大塚山古墳出土)

日本製三角緑神獣鏡(会津大塚山古墳出土)

日本製三角緑神獣鏡(会津大塚山古墳出土)

会津大塚山古墳全景(東より望む)

会津大塚山古墳全景(東より望む)


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