教育福島0133号(1988年(S63)09月)-030page
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横切り、その様はあたかも「狐の嫁入りの提灯行列」を思わせ、子どもの私たちはそれを信じて疑わなかった。
縁というのは不思議なものである。今、私は少年時代に遠く遙かに見ていた阿武隈山地のど真中に住んでいるのである。なぜなら、そこに私の妻が生まれ、その実家に私が住んでいるからである。
ここ岩代町田沢は、北に麓山、南に県立自然公園に指定された日山との間に狭まれた小さな集落である。集落の中央に県道二本松・浪江線が走り、その沿道にわずかな民家が点在し、大抵の家屋は自然の緑の中に吸収され、その姿を隠している。
私の家の裏側には深い山がある。その山を登りつめると、眼前に麓山の山頂の岩肌が手に届くように迫って見える。そして眼下には田沢の集落が、まるで箱庭のように眺望できる。それが楽しみで今は中三になった息子と弁当を背負って登ったりもした。
驚くことは、その息子の方が私よりこの田沢部落に詳しいことである。この子にとってはここが古里であり、かけがえのない所なのであろう。私が少年時代この東山を遙かに遠く思ったように、この子はきっと西山を遠く無縁の山だと思っているに違いない。
ここに住むようになって奇しくも、「狐火」の正体を知ることができた。あの神秘的な火の行列、それは麓山に群生する茅の枯草を焼き払う野火だったのである。
私にとって、たまらなく郷愁を誘われる場所がある。そこは出勤途上にある合戦場という小高い丘である。その丘は桑園になっていて、今は不要となった半鐘のやぐらがやや傾き加減に佇み、どことなく風情のある所である。その斜面の向うに安達太良の山並みが一際浮き立って見える。それは決まって晴れ渡った朝に見る風景であるが、それに出会うたびに激しい感動を覚えるのである。そして、少年時代の「狐火」の幻想と現実との映像の重なりの中で、遠い昔を懐しむのである。
(岩代町立小浜中学校教諭)
打合せ
荒木一彦
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国体準備室の時計の針は、すでに夕方五時を回っています。
声がかかります。「これから○○について打合せを行いますので、皆さん集まって下さい」いつもの夕方の打合せの始まりです。
資料が配布され、担当が説明します。「これから○○について打合せを行います。はじめに概略を説明いたします。……………………。以上で概略の説明を終わります」
すぐに、質問や意見が「△△については、……………………のようにしてはどうか」「□□のところは、何かもっと良い表現はないか?」等々、次々に飛び出します。
「それでは、この辺でまとめたいと思います。 △△については、………………のように、□□のところは、………………のように訂正してまとめてみますので、明日にでもまた、「打合せ」をお願いいたします。今日はありがとうございました。これで○○についての打合せを終わります」
すぐに、別の担当から「明後日の会議の段取りについて、お願いいたします」と声がかかり、引き続いて次の「打合せ」が始まります。
このようにして、短いときで二十分前後、長いときは、三時間余にも及ぶことがあります。「打合せ」の時間が長くなると、夕食を取る時間もないためおなかがぺこ◆になり、目もしょぼ◆になることもあります。
こんな日の翌日の朝にも八時半前から何人かで激論を戦わしている強者の担当もいるのです。
また、日中での「打合せ」においては、競技会場地市町村、競技団体や庁内の関係各課の担当の方々等で二十人以上を越えることもあるとともに、室内のあちこちでの担当だけの二〜三人、あるいは、五〜六人の小人数で行っていることもしばしばです。
とにかく、国体準備室での「打合せ」は、一日に何度となく頻繁に行われ、一人で一日に六〜八回もの「打合・せ」に出席している担当もおります。
国体準備室員は、このような「打合せ」の連続により、内容の精査を行い、昭和七十年に本県で開催する「第五十回国民体育大会の成功」を願い、開催準備の推進に明るい雰囲気で積極的に日夜努力しているのです。
(国体準備室主任主査兼企画管理係長)
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国体成功に向けて繰り返される綿密な打合せ
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