教育福島0133号(1988年(S63)09月)-033page
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生物関係の岩波新書をむさぼるように読み、自分の世界を広げていきました。
今振り返って考えると、どんな時にも自然のすばらしさを教えてくれる人がすぐそばにいました。私もそんな人になりたくて、教師の道を選んでしまったようです。
学校における理科の教師の役割りのひとつに、学校の理科的な環境を整えていくことがあります。まず着手したのは、内的な理科環境として、身近かな自然(案外、児童は気がっかないことが多い)を児童にどのように気づかせていくかでした。「理科だより」「熱海の自然」などという題名で、児童とその保護者向けに月一回発行して、地域の特筆すべき生物、天体現象、自然保護などを中心に訴えかけました。通算十六号になりましたが、その内容をよく検討してみると、前述の子ども時代の体験の中で感動したことが中心になっているのにふと気づきました。それほど幼い時の強烈な印象が大人になっても、忘れかけた心の奥底に息づいていることが不思議でした。
児童にとって教師の役割りとは、個々人の内面性にインパクトを与え、その児童の人生のモザイク模様のひとつを塗りつぶすことにあるようです。それを自然教育を通し実践していきたいと考えております。
「熱海の哺乳類」では、ニホンザル・ハクビシン・ムササビ・クマ・イノシシなどの分布域が明らかになり、他の地域と比較して、発表することができました。「熱海のタンポポ」では、調査結果を授業に生かすことができました。どちらも児童と保護者の協力を得て実現できました。現在は「熱海の昆虫・植物」を執筆中です。
児童の全てが自然教育的な働きかけに興味を持つわけではありません。児童のごく一部が「ダニ」採集のツルグレン装置を使っているだけです。全精力を傾けた働きかけがひとりふたりの児童にのみ共鳴しているだけなのです。しかしポケットの虫を得意になって見せにきてくれる児童の目の輝きに、いつも励まされて続けているわたしです。
(郡山市立熱海小学校教諭)
言葉ありき
引地久子
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「先生!こんにちは。こんど大石幼稚園に来たんですってね。それじゃ、私の子どもを見ていただくようになるかもしれませんよ」
転任して来て間もない日に、教え子から町で言葉をかけられた。昨年、大石地区に嫁いできた彼女は、とてもはつらつと、生き生きした顔立ちで、.その言葉は美しかった。確かに、五年もこの幼稚園にいれば、教え子の子どもが入園してくるかもしれない。待ち遠しくて、心がワクワクしてきた。
ある先生は、教え子とペアを組んだ。主任と担任との関係で、ほのぼのとしていて微笑ましい。どんな言葉をかけ合って、幼児教育に携わったのだろうか。
我が園のY君は、言葉がやや遅れている。毎日「チェンチェ」「チンニ」「チラーイ」の言葉がかならず出てくる。給食時になると、「チラーイ」の連発。最近、やっと私の名前を覚え、「ヒーヘンヘ」と呼べるようになった。ニコニコした顔で、「ヒーヘンヘ」と言葉をかけられると、つい、頬づりしたくなるほどかわいい。
しんしんと雪が降る今年の二月。車で帰宅途中、信号待ちをしていたら、トラックに追突され、ムチウチ症になってしまった。ドライバーの人たちに“雪道にはご用心”と訴えたくて、新聞の読者の欄に投稿したら、たちまち掲載になった。結構、読者の欄を読んでいるとみえ、知人や教え子から電話や手紙が届いた。その中に、同情の言葉をいただいた時は、自然とがんばろうとする気力が出て「だいじょぶよ。落ち込んでしまうと、よけいだめになるから考えないことにしている」と返答し、逆に「そのくらいどうってことないよ」と言われた時は、「この辛さは、誰にもわからないんだから」とふてくされてしまったことを覚えている。
人との出会い。それもまた、言葉なり。
言葉によってその人とのつながりもでき、つながりを断ち切ってしまうような言葉にはつい耳をふさぎたくなってしまう。
過日、講演の中で「口が一つで、耳が二つあるのは、話を倍にして聞くため」ということを聞いた。
生まれてまだ五年しか過ぎていない子どもたちに、小さな草花だって生きていることや、どんな草花にもそれなりの美しさがあることを知ってほしいから。そして、草花に心を動かせる子どもになってほしいから、降園途中で、草花を見つけては、いつも子どもたちの小さな二つの耳に語りかけるのです。
「先生はねー。道端に咲く草花や、野の花が大好きなのよ」と−。
(霊山町立大石幼稚園教諭)
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