教育福島0134号(1988年(S63)10月)-026page

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ゆっくり登る二班のK君は、少し足の不自由なJ子さんと手をつなぎ山道を歩き出した。がんばり屋のJ子さんは、少々せっかちにK君をひっぱり、そのためかK君はまるっきりJ子さんに頼りきって受け身の態勢で歩いている。そこで、途中からK君を一人で歩かせることにした。すると、K君の足取りがまるで違う。足元を見つめ、歩きやすい所を選びながら、一定のリズムを保ちゆっくりと歩く。友達が休んだり時にはかけ出したりしても決して調子を崩さず、最後まで歩き通した。目的地点でおにぎりをほおばるK君はとてもいい顔をしている。何かを成し終えた時の充足感をしみじみと味わっているかに見える。

過日、三年生は高等部の生徒と一緒に、二週間の現場実習を経験したばかりである。汗とほこりにまみれながらダンボール中しきりの組み立て作業と格闘し、でき上がって山積みされた製品を見つめる一人一人の誇らしげな顔を思い出す。とうとう成し遂げたというあの時の顔とK君の顔とが重なってみえる。

こうした具体的な生活体験の積み重ねが、自分は何がどの位できるかといった、いわば自己を理解する力を身につけ、それによって自信に満ちた意欲的、主体的な行動がとれるようになっていくのではないかと思う。毎日の学校生活もこのように自信をもって積極的に活動し、満足感の味わえる場でありたいと思う。

「Tちゃん起きて−」夜中に三度揺り動かしトイレに誘う。日中精一杯活動して心地よい眠りについている丁君は、揺さぶられてようやくおぼつかない足取りでトイレに行ってオシッコをする。二晩のこのやりとりをしながら毎日毎日繰り返されるだろう母と子の姿を考えてみる。知恵遅れというハンディの上に、時にはてんかんによる発作と毎晩の夜尿との闘い。多くの障害を小柄な身体に背負って生きているT君。日中、時にはボケッとしたり、大きなあくびをしたりして、どうも生気が足りないなどと思っていた自分を反省する。子どもとっき合うには、その全体像や、生活全体を見つめることが必要なのだと思う。

いろいろの思いを残して今年の宿泊学習も無事終了した。どうだんつつじやいわかがみなどがかれんな花をつけ、優しく私たちを迎えてくれる安達太良山に来年もまた来たいと思う。

(福島市立福島養護学校教諭)

 

楽しかった安達太良登山

楽しかった安達太良登山

 

T君から学んだこと

根内 喜代重

 

特殊学級を担任した昨年は、私の教育観を大きく変えた年であった。

 

特殊学級を担任した昨年は、私の教育観を大きく変えた年であった。

君童数わずか三人の学級であったが、その子どもたちとスタートしてからの私は、「教育とは何か」というような大きな問題をいやおうなしに投げつけられる毎日であった。

特にT君からは、教えること、理解してもらうことの難しさを心底知らされた。学級で育てていたトマトを観察させ、日記に書かせながらトマトの数を毎日数えさせた。一個二個と数えていったトマトも十二、三個を過ぎると、増えたり、減ったりで、さっぱり数がはっきりしなくなってしまう。毎日毎日同じ繰り返しで、T君から逃げたいとさえ思ったことも何度かあった。

そんなとき、もう一度丁君を見る。

一生懸命だ。

真剣なまなざしだ。

五分と長続きしない真剣さだが、確かにやろうとしている。

「この子は何をつかもうと努力している。何とかしてやらなければ」

心の底からそう思えてきた。

T君が卒業する一か月前、繰り上がりのある足し算ができるようになった。

「T君、できたじゃないか」

そう言った途端、大きな体のT君が涙をぼろぼろこぼして泣きだした。T君なりにうれしさを隠しきれなかったのだろう。今までできなかったものができた喜びは、T君だけでなく、私の喜びでもあった。

「先生、もっとやってみる」というT君。

そんなT君に期待して、卒業させてからはや半年、ときどきT君のことが思い出される。

特殊学級を担任し、教職五年目にして初めて教育とは何かを子どもたちから学んだように思える。

現在、五年生、三十五名の担任をしている。この子どもたち一人一人の将来に大きな期待を抱きながら、子どもたちとともに学び続けていくことを心がけていきたい。

(都路村立古道小学校教諭)

 

 

 


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