教育福島0134号(1988年(S63)10月)-025page

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感動を高めることに気付き、しみじみと教師になってよかったと思う。

教師としての第一歩を踏み出して五か月余、さまざまな感動と驚きの連続であると同時に、失敗の繰り返しであった。今、私は、この素晴しい可能性を秘めた生徒たちの能力を最大限に引き出し、ともに活動し、ともに感動し合える教師を目指して、精一杯のことをしていきたい。

(三島町立西方中学校教諭)

 

永遠の美を求めて

神野忠和

 

春の苑くれなみにほふ桃の花

 

春の苑くれなみにほふ桃の花

下照る道に出で立つをとめ

−大伴家持−

 

日本最古の歌集であり、すぐれた文化遺産である万葉集は単に過去を知るためだけの文献ではなく、今日にはたらきかけるつよい生命力をもっている。

この不朽の価値ある万葉集、このうたはその中の一首である。

私はつねづねそういったうたをこころに描きながら古来からの芸術家たちの夢であり、ロマンであり、あこがれでもあった若い女性の無垢一むく)なるものの美しさを求めて制作に取りくんできた。

希望であり、青春であり、そして若さである。はつらつとして、こんこんとわき出づる泉。こんな春のよろこびを「春彩」と題し昨年秋日展に出品した。

女性の若々しい息吹きや内に秘めた豊かな感性を形象化しつつ、ひとつの美しいフォルムとしてまとめてみたかった。

マッス(量塊)とモドレ(肉付け)のかかわりあい、面と面の構築、彫刻のもつ厳しさ、容易に妥協してくれない頑固さ。それらが一歩も譲ろうともせずに、私の前に立ちはだかる。

そして、永遠の彷徨者となり果てそうなとき、いつも私を救ってくれるのは師である太田良平先生が「地上にあるすべてのもの、ありとあらゆるものが立体である。

人間の体自体がすでに立体である。母体をはなれて先ず求め、先ず触れる乳房からして素晴らしい美をもつ立体なのである…………しかし視覚作用は無意識のうちに平面の推理をし、立体を立体として見ていない。

ものに対する感覚はまず視覚による認識だ。この認識を誤らず、育成した眼が造形には必要である」と話された言葉である。

これは昭和二十九年、第一回福島彫塑クラブ夏期講習会のテキストの中の一部である。B4二枚に要約されたこのテキストは、赤茶けてあちこち破れたりはしているが私にとっては、宝物で、今でも何よりも大事に保存している。

(県立福島南高等学校教諭)

 

第19回日展1987 春彩 特選 神野忠和

宿泊学習の思い出

 

宿泊学習の思い出

真鍋ヒロ子

 

手をかけて喜び合う。安達太良山の澄んだ風がほほをなでてとても心地よい。

 

ついに目的地点のくろがね小屋到着。「ヤッタネ」生徒たち一人一人の肩に手をかけて喜び合う。安達太良山の澄んだ風がほほをなでてとても心地よい。

梅雨の真ただ中、雨上がりの合い間をぬって、今年も安達太良登山が実施された。安達太良山麓における本校中学部の二泊三日の宿泊学習の中でも核になる活動の一つである。生徒一人一人の体力や体調を観察し、実態に合わせた三つの班編成をし、入念な計画の下に行われた。

 

 

 


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