教育福島0134号(1988年(S63)10月)-028page
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以上の力を持っている」ということです。
現在では小学生が空中で五回旋の技や、宙返りをするまでに至っていることに驚かされるばかりです。
その昔、伝承遊びとしてのなわとびは今、用具の改良、音楽に合わせてとぶリズムなわとび、短なわと長なわの組み合わせ、二人組や三人組、多人数とび、竹馬やけん玉、輪などの用具の組み合わせも可能で、それらの技は七百を越えるとも言われており、技の広がりは無限で、まだまだ開発される余地があり、実施形態も変わってきました。
幼年期から、壮年まで自己の体力に応じて実施する内容を調整できるスポーツはなかなか見つかりません。
昭和五十年前半から盛んになったこのなわとびは、生涯体育としてうってつけと言えるでしょう。
これから私は「自分以外はすべて師である」ことを忘れず、このなわとびとの出会いを大切にし、幅広い人間としてこれからもがんばりたいと思います。
この原稿が載るころ、寒い冬を元気に乗り切るために、また子どもと一緒になわとびをしていることでしょう。
なわとびで「心の和(輪)」を広げるために。
(いわき市立大野第二小学校教諭)
出会い
永久保和男
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私が新採用教員として赴任した学校(昭和中学校小野川分校)は、只見線川口駅からおよそ三十キロメートルの山間地に位置する小さな分校であった。
イワナのつかみ捕りができる清流、滝谷川。峠から雲海を見下ろせる博士山。十月には早くも初雪が見られ、積雪三メートルに及ぶ厳しい冬。情の厚い村の人々。こうした環境の中で、全校七名の生徒と四名の教師が一体となり、有意義な学校生活を送ることができた。短い期間ではあったが、多くの思い出が残った二年間であった。その中でも特に鮮明に思い出されるのが、本校七チームと分校一チームが参加した校内駅伝大会である。
全二十ニキロメートルのコースを各ニキロメートルの十一区間に分け、男子は二区間、女子は一区間を走る。各チームとも、男女混成チームで競うものであった。しかし、分校生は、男子二名、女子五名なので、二区間分は本校生から補充しなければならなかった。
ところが、なかなか補充になる生徒が決まらず、私は補充を断わり、分校生を集め、いきさつを話した。そして、男子二人にそれぞれ三区間走ってくれないかと言うと、二人は「やる」と即座に答えてくれた。女子五人も分校生だけで走るほうがいい、自分たちもがんばるから二人もがんばってと、団結力が一層強まった。
レースは序盤から八位であった。女子は男子の不利な点を少しでもカバーしょうと実力以上のがんばりを見せたが、序盤に男子を起用したチームにはかなわなかった。そして、一年生のH君が六キロメートルを走りさった時、よくやったとしか言えなかった。この時、一人一人ががんばり、完走すればそれだけで立派であると考えていた。七位という目標は二の次となっていた。ところが、ゴール前三区間にドラマがあった。もう一人のK君は九区で区間賞を取り、あれだけあった差をなくしてしまった。七、八位の並走を後走車から見守り、負けるな、がんばれと応援せずにはいられなかった。K君は三区間、相手は二区間、K君の不利は明らかであった。ところが、ゴール前のスパートで競り勝ち、七位となったのである。ゴールでK君に駆け寄った生徒たちの自信に盗れた顔、喜ぶ顔、涙顔。三年生のいなかったこのチームから、来年をめざすがんばりが自然と出て、頼もしさすら感じることができて感動した。彼らと出会えたことがうれしかった。デットヒートを見守りながら、早朝や放課後のランニング、体育の時間の長距離走を思い出した。教師になってよかったなあと、その時強く思った。
日々の生活のどこに感動があるかわからないことを痛切に感じさせられた経験であった。
現校二年目の今、この思い出を宝とし、全校百二十三名の生徒一人一人の可能性を信じ、充実した楽しい日々を過ごしている。
(玉川村立須釜中学校教諭)
一年生に似合う先生に
高島徹也
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「先生大丈夫」「先生何だか似合わないね」六年を卒業させた子どもたちが
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