教育福島0135号(1988年(S63)11月)-025page
である。
私は、いつでもこの父と母の娘でありたい。私の生きる道は、父母の歩んだ道を選んでいきたいと願っている。
父は口にこそ出さなかったが、私が今、出会っている子どもたちへ深い愛情を注ぐことを望んでいたに違いない。
私のそれは未熟で、まだ一つ、二つと数えられるものにすぎないが、いつの日にか、きっと数え切れないほどの房となり、子どもたちから迷わず選んでもらえる教師になるよう努力していくつもりである。それが受けた愛に報いることであると思っている。
(喜多方市立第二小学校教諭)
美しく老いる
斎藤セツ子
学校教育の世界から、婦人教育の世界へ飛び込んだ私にとって、Sさんとの出会いは、新鮮ですがすがしかった。
五月のある研修会の時、会場に会津の地より、可憐な春蘭を一輪携えてきてくださった。皆さんにお見せしたくってと……。
それから仕事でお会いする度に、彼女が、元英語教師であったこと、退職後、お世話になった地域の方に役に立ちたい、せめて英語教室でもと、公民館の門を叩いた時、館長さんに「どんなことができますか。手芸などは教えられますか。踊りは………」と聞かれたが、何も役に立てることがなかったという。その時ほど、悲しく惨めなことはなかったと話す彼女。
それからの彼女は、週二回何時間もかけて郡山へ足を運び、役立っであろうことは、東京へでも福島へでも足を運び、貧るように学習したという。そして今では地域のリーダーとして公民館等へ出向き活躍していることを伺った。
そして、ここ数年長年の夢であった英語を、自宅を開放して子どもたちに教えている。「テストの点数がよくなればよい」と考えている親たちの言葉を尻目に、話せる英語、役に立つ英語とは何かを追求し、生きた英語を実践している彼女でもある。
確固たる信念を持ち、それでいて、傲りが微塵も感じられない。いつでも「私でなく、あなたの方が……ですよ」と、回りを引き立ててくれる。
そんな彼女が、「今、生涯学習の大切さが叫ばれていますが、仕事をやめてから学習をと考えている方が多いと思います。でもやめてからでは、遅いというのが実感です。仕事以外の趣味や学習を早く持たれる事が大事です。人生いつでもスタートラインに立った気持ちでやれば、不可能なことはありませんし、何でもできてしまうから不思議です」と、話されたことがとても印象的であった。
すべての事を吸収し、新しい物へ挑戦する彼女の姿は、美しく、年を感じさせない。そんな彼女のもう一つの夢は、中国へ行って、子どもたちに、日本語を教えることだと言う。六十歳に手が届こうとしているSさんの夢である。
母親、そして地域のリーダーとして、家庭を大切にしながら、家族への感謝を忘れずに、一人の人間として、持てる力を十分に発揮し、精一杯歩き、そしてまた歩き続けようとする彼女に声援を送りたい。そして、私も彼女のような老いを迎えられたらと願いながら
(県教育庁社会教育課社会教育主事)
グラビエス
仁科武芳
感動はよみがえる
過去は常に現在によみがえり
私の胸をさわがせる
私は今神々と英雄たちの地に立つ
その感動と実感が
知識の空しさを教える
感動は知識より人の人生を左右する
遠い過去の記憶をさかのぼるような
遠い遠い山岳の夜の道
スパルタはそこにあった
東の法隆寺の柱のように
ギリシア・パルテノンの柱はそびえ
私の夢と情熱をかきたてる
心のこもる交換会
メロマカロナ(茶)
グラビエス (白)
旅人への甘き菓子への願い