教育福島0136号(1989年(H01)01月)-025page

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随想 ずいそう

 

言葉によせて

 

言葉によせて

小野田 元子

 

いの中で、少しずつ少しずつ成長しているのだと思い、ほっとしたりした。

 

小学校四年生の息子が、ある晩、何を思ったか、「お母さん、ぼくの『あのねちょう』出して」と言う。『あのねちょう』というのは、息子が二年生の時に毎日書いていた日記のようなものだ。担任の先生は、大学を出たばかりの女の先生で、子どもたちが書いていったノートに、毎回丁寧に返事を書きこんでくださっていた。時には先生の書かれた赤い文字が二ページにわたることもあり、心のこもったお仕事であることがよくわかった。テレビに背をむけて、その『あのねちょう』をながめていた息子は、時々声をたてて笑ったりして、愉快そうだ。小一時間して全部を読み終わると、「あー、おもしろかった。これさえ読めば元気百倍」と一言。そのひとことが、新鮮な響きで耳に残った。この子にとっては、あの四冊のノートがたいへんな宝物になっているのだなと、あらためて思った。いつもふわふわと風船のように頼りなく、弱々しい息子なのだが、こうしていろいろな人たちとの出会いの中で、少しずつ少しずつ成長しているのだと思い、ほっとしたりした。

さて、私自身は、生徒たちにものを教える立場の人間だが、『あのねちょう』の先生のように、子どもたちの心に残るような仕事をしてきたであろうか。優柔不断、消極的、内向的、機械は苦手、運動はできない……ここまで並べると、「望まれる教師像」からははるかに遠い人間だとつくづく思う。新採用研修の時のお話は、もうほとんど忘れてしまったが、一つだけ、今でも鮮明に覚えている言葉がある。「自分には教師はむかないのではないかと迷うようなことがあったら、迷わずにすぐに辞めなさい」という言葉だ。いまだに忘れられないのは、頭のどこかに、いつも、教師としてやっていけるのかという問いがひつかかっていたからだろう。生徒たちとのかかわり合いの中で、自分の未熟さやずるさに、いやおうなく対面させられ、自己嫌悪に陥ることが多かった。そして、そのたびに精神的に鍛えられてきたようにも思う。息子以上に頼りない風船人間の私は、やはり、生徒たちや同僚の先生方との出会いの中で、多くのことを教えられ、かろうじて教師としての仕事を果たしてきたような気がする。

学習指導にも生徒指導にも自信を持ってあたることはいまだにできないが、国語を教える者の一人として、生徒たちと言葉を通してつながってゆきたいと思う。私にできる仕事は、言葉を通して子どもたちを理解し、言葉を通して子どもたちをはげますことだろうと思っている。『あのねちょう』の先生のように、子どもたちと一対一で接する機会を多く持ち、生徒たちの考えをよく聞き、私自身の思いを正直に伝えたいと思う。生徒たちが出会う数多くの人間の一人として、素直に自分を表現できればと思う。

(県立磐城農業高等学校教諭)

 

自然とのふれあいを求めて

 

自然とのふれあいを求めて

平山  誠

 

キノコなどの姿があぶり出しの絵のように浮かび上がってくるほどである。

 

現在勤務している学校は、東に猪苗代湖、西に背表山があり、自然の環境に大変恵まれている。近くの山々を眺めると、山菜採りの好きな私の目にはワラビやキノコなどの姿があぶり出しの絵のように浮かび上がってくるほどである。

五月になって、私の担任している五年生にワラビの出る場所を聞いてみた。

「知りません。じいちゃんやばあちゃんは採ってくるけど−−」

私は思わず落胆した。自然に恵まれた子らしくないなと思った。放課後、早速子どもたちをワラビ採りに誘った。

「先生、この辺の山にワラビ出るの」

「多分出ているよ」

こういう会話をして歩くこと十分、杉の苗を植林したばかりの山に着いた。私がワラビ見つけると、子どもたちも一斉に採り始めた。葉の大きく開いた

 

 

 


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