教育福島0136号(1989年(H01)01月)-028page

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生懸命がんばるよう励まして就職させたものでした。

あれから十三年後、当時の校長先生がお亡くなりになり、その葬儀の席でM君と再会しました。立派に成長し、主人との約束どおり店を掌中にし、店主として商売に励んでいるとのことでした。

臨時教育審議会、教育課程審議会の答申で、個性や社会の変化に主体的に対応できる能力の伸長が言われています。自分の人生において自己実現をはかり、生きがいを感して生活できるようにするため、自己教育力を身につけさせる学校教育の重要性をM君の成長ぶりから、ひしひしと感じているところです。

中学校教育三年間で、生徒一人一人の個性・適性のすべてを見抜くことは、非常に難しいと思います。しかしたえず生徒一人一人に目を向け、見る目を養い、小さな変化も見逃さない敏感な観察眼を持ち、生徒の立場に立って考えるあたたかい教師であることが大切であると思っています。

M君も今年は四十二歳の厄年、元日には同級会が開かれるとのことで、招待状も届きました。

元校長先生の葬儀で会って以来、十有余年が過ぎ去りました。今ではおそらく何児かの父親になっていることでしよう。

同級会ではM君も含め、四十五人の卒業生のうち、何人と再会できるだろうか。当時を思い出しながら教え子と酒酌み交わし語り合えることは、教師冥利に尽きるものと、今から楽しみにしているところです。

(古殿町立古殿中学校教頭)

 

今、中学校の教師として

高野千恵

 

時間がかかるでしょうけれど、がんばります。自分が悪かったのですから」

 

「一度失った信用を取り戻すのには時間がかかるでしょうけれど、がんばります。自分が悪かったのですから」

S子から便りが届いた。このような決意を何度聞いたことか。

卒業していっても心のどこかにいつも気にかかる生徒がいる。学校に、友達になじめない、仕事が合わないなど、新しい環境に適応できない生徒たちだ。彼らはなぜこんなにもろいのだろうか。

一人一人の生徒に学ぶ喜びを味わわせたい、より望ましい将来を選択させたいと願う私たち教師の心とは裏腹に、集団生活不適応の生徒は年々増える傾向にある。

これらの生徒を前にして思うことは、生徒たちの視野を広げ、多様なものの見方・考え方のあることを今まで以上にわからせたいということである。言葉や文章との出会を通して認識する力を育てる国語教師の役割は、この意味でも大きい。

さらに生徒たちに、問題状況を直視し、真っ正面からぶつかっていく厳しさを求めたいと思う。だが、指導する側としてはどうなのだろうか。早期発見・早期治療を心がけ、問題が起きる前にその芽を摘みたいと願う。心から生徒のためを思い、良かれと判断し指導にあたる。しかし、これらが結果的に生徒たちの目を厳しい現実からそらさせることにはならないのだろうか。一人立ちを困難にさせることはないだろうか。困難を乗り越える賢さやたくましさは、生徒自らの手でつかみとったときに初めて、本物の生きた力となっていくであろう。

それにしても私たち中学校の教師の抱えている問題は多い。

○ たくましい心・耐える心の欠如。安易な妥協。困難に立ち向かおうとしない、精神面の弱さ。

○ 自己認識の甘さ。視野の狭さ。一方向からの理解。

○ 自ら考え自ら判断し、将来を見通して自分の生き方をとらえようとしない、自己教育力の低さ。

こんな共通点のみられる生徒たち。その背景にもさらに問題は広がっていて、根はますます深い。

このような状況の中で、たった三年間の、ごくわずかなかかわりでしかない私たちのできることを考えると、思わず引っ込み思案になってしまう。

しかし、ごくわずかな力ではあっても、長い人生の中でも最も変化の激しい時代といわれる中学校時代を共に生きる教師として、できるだけのことはしたい。将来への見通しを持ちながら「今」を精いっぱい生きることの大切さ、集団とのかかわりの中で自己を生かすことのすばらしさを、ふだんの生活の中で数多く体験させたい。こんなことを考える毎日である。

十一月中旬、S子から再び便りが届いた。

「一月には帰れそうです。今度こそがんばりますので、待っていてください」

(福島市立福島第三中学校教諭)

 

中学時代には学ぶ喜びと生の感動を

中学時代には学ぶ喜びと生の感動を

 

 

 


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