教育福島0136号(1989年(H01)01月)-029page
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ささやかな趣味
川村倶義
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最近、趣味に関して問われることが多くなったような気がする。平均寿命が延びて、趣味や生きがいを持つことの必要性が云々されるようになったことから、他人の趣味にも関心がもたれるようになった表れかもしれない。
私には、芸術に関する特技や胸を張って言えるような趣味の持ち合わせもなく、苦しまぎれに「強いて言えば峠を訪ねることかな」と答えると、けげんそうな顔をされてしまう。
「峠」に関心を持ち始めたのはいつころだったろうか。周りを山々に囲まれた盆地に暮らす者にとって、山の向こう側に対する憧れというものは並大抵のものでなかったように記憶している。「晴れた日には太平洋が見える」と言う話に誘われて半田山に登ったのは中学生になって間もないころだった。残念なことに海は見えなかったが、山頂から見下ろす尾根の連なりと山間を縫って伸びる峠道に、大きな感動と「いつかあの峠を越えて遠くへ行ってみたい」という想いを持ったものだった。学生時代は山岳部に籍を置き、夢中になって山に登ったのもその想いの延長にあったのかも知れないが、体力の衰えと時間の関係から、現在ではドライブを兼ねて「峠」を訪ねるのが唯一の楽しみになってしまった。
訪れる峠が古く険しいほど興味がわく。峠を切り開いた先人の苦労や往来した人々の様子を思い浮かべるのはもちろんのこと、一気に上りつめた先に待ち受けるものに期待が持たれるからである。現在では道路の改良が進み、幅が広げられ傾斜も緩くなっているがそれと交錯しながら急な細道が残っていたり、茶屋があったりすると大変嬉しくなる。
峠は「たむけ(手向)」の転で、通行者が道祖神(道路の悪魔を防いで行人を守護する神)に手向(そなえ物をして祈る)をして通ったのでこう呼ばれたそうである。また、昔は峠をもって村境・国境としてことから、悪人や疫病の浸入を防ぐための石造物がよくみられる。
人々の祈りを込めて建てられた石造物にはいろいろなものがあって興味深いが、その中でもお地蔵さんは、無宗教に近い私にも自然と頭をさげさせてしまう魅力を持っている。地蔵は釈迦が入寂して五十六億七千万年の後、弥勒があらわれるまでの無仏の世界を教化救済するという畏れ多い菩薩ということだが、私には俗説にいう審の河原にみられる子どもの守り本尊という方に親しみが持たれ、ながめているうちに空也上人の詠んだ地蔵和賛の一節が想い浮かぶのは、嬰児を亡くした親として当然のことかも知れない。
峠を訪ねるに当たっては民俗誌などを参考にしているが、その度に新たな発見があって面白い。更に多くの街道や峠を訪ねて、私の人生の中での豊か.な趣味として高めていきたい。
(県北教育事務所社会教育主事)
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いのちの優しさに触れて
齋藤雪子
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美しい自然に囲まれた小学校に着任してから、七か月が過ぎようとしています。私はまだまだ新米なので、授業生徒指導など、何をとっても戸惑うことがいっぱいあります。しかし、日々成長する子どもたちと共に学ぶ喜びを感じながら過ごしています。
私が教師として最初に出会ったのは小学校三年生、二十六人の子どもたちです。緊張感でどきどきしながら子どもたちの前に立つと、どの子も、「この人が今日からぼくらの先生だ」という顔つきをしました。私は、一人一人のその輝くような笑顔と期待感に、精一杯応えたいと思うばかりでした。
ところが、時がたつにつれ、子どもたちとの人間関係がうまくいかなくなってきたのです。何度注意しても、授業中、席を立って歩く、指名してもうつ向いてずっと黙ったままでいるなど、そうした事の連続でした。私も情けなくて本気で教師を辞めることを考え始めました。人と共に生き、育て、学びあうことのあまりの難しさに、すっかり自信を喪失してしまったのです。
そんな折、ある寒い朝、風邪をひいた私は、自分では元気そうに歩いているつもりで、いつもより階段をゆっくり上っていました。そのとき、階段の下から私の姿を見ていたH君が追いか
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