教育福島0136号(1989年(H01)01月)-030page
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けて来ました。H君は元気があり過ぎる子で、なかなか指導が容易ではない児童です。
彼は、今朝も元気に私のそばまでやって来ると
「先生、今日具合悪いんだべ」と、声をかけてきました。
「えっ!!どうして。先生、何か変かな」
「だって、先生いつもより歩き方が遅いんだもん」
この言葉を聞いて、いつもは元気すぎて私を悩ませているH君が、私の後ろから私の体を気遣ってくれている気持ちの優しさにふれて、胸が熱くなってしまいました。そして、そのことは、子どもとの人間関係や授業がうまくいかないで悩んでいるときだっただけに、私が子どもを見つめ直すきっかけとなる出来事でした。私は再び元気をとり戻しました。
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子どもたちの心はその豊かな表情に
花がそこにあるとき、人はそれを見て、気持ちが和やかになり、美しさを優しさを感じます。また、毎年花を咲かせる自然のエネルギー、たくましさというか、それに感動をおぼえることもあります。
私は、子どもというのは、そういう自然の豊かさを、内在的に持っているものだと思いました。子どもの心や体には「いのちの優しさ」があふれています。まさしく、子どもがいるから私がいるのです。
私は、この子どもたちがもっている「いのちの優しさ」に目をとめ大切にしてやれる能力を身に付けるためにも、自己研修に一層励むつもりです。そのことは、心豊かな人間の育成に結び付くものだと信じるからです。
そして、常に、共に学び合い、生きる喜びや楽しさを味わえる教師でありたいと思います。
(飯舘村立草野小学校教諭)
戸渡の四季
只野葆泰
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犬のケンやタローの姿が見えると、子どもたちの登校時間だ。甲高い、明るい美紀ちゃんの声が聞こえる。そして、「先生、おはようございます」と信二君が、分校前の住宅に顔を出す。
私は、この四月から、いわき市の四級僻地、戸渡分校勤務をしている。春、四月。本校から二十キロメートル余り離れたこの分校に、私はO先生の車で赴任した。バスも通れない急勾配の雨道を4WDの車で三十分、透き通るような雑木林を過ぎると、小さな盆地が広がり、二、三軒の民家が見え、分校もすぐ見えた。「あそこが分校」O先生は言った。ひんやりした校庭に出てみる。何人かの子どもたちが、すぐ近寄って来て、明るい元気な挨拶をされた。「あ、こんにちは」ちょっと気おくれして挨拶をした。これが、のびのびしていて明るい分校の子どもたちとの初めての出会いだった。
二十年前、初めて赴任した小さな学校の子どもたちもそうだった。日曜日ともなれば、「先生、ワラビ採りに行こう」と誘われる。ワラビ、ゼンマイ、タラボ、ドッカなど少ししか採らず、一日中、遊んでしまった。夏には、ヤマベ釣りに出かけ、一匹も釣らず、また遊んでしまったこと。秋ともなれば、色づいた雑木林を歩きまわりきのこ採りをする。きのこの名となれば、子どもたちが先生だった。冬は、あまり雪が降らないが、大根が透き通るほどの寒さだったのが、思い出される。
戸渡分校では、私にとって、再び自然と子どもを見つめ直す機会となった。四月八日、大雪になった。この冬は暖冬で雪は少なかったと聞かされていたので驚いた。子どもたちは、もうスキーをして、元気に走りまわっていた。桜は、五月半ば、ぼっぽっとしか咲かなかった。そのころになると、カメムシの大群に襲われる。その侵入を防ぐため、ガムテープは必需品である。
この夏は、雨が多かったが、僅かな晴れ間に、シイタケの古木から発生するカブト虫が、白樺の小枝にいっぱいになった。
九月、地区の祭りが行われる。子どもたちも、大人に混じって、準備する。六年生のめんどうみの良さ、一年生の真剣な作業には、目を見張るものがある。祭りが終われば、もう秋、木の葉が校庭を舞い遊ぶ。子どもたちは何回も、落ち葉集めをする。焼き芋大会を心待ちにして、落ち葉の山を眺めている。
今日、十一月十一日みぞれが降った。冬は、もうかけ足で来ている。また、静かな深い雪の中に埋もれるようだ。しかし、分校の六名の児童は、元気に、助け合い、協力し合ってがんばっている。その姿に、私たち三名の教師は、
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