教育福島0136号(1989年(H01)01月)-041page
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昨日ころから疲れもピークに達し、Kちゃん、O君は完全なホームシックとなり涙を流す。いたずらに慰めたりせずにそのままにしておく。ホームシックはどこかで自分自身にけりをつけない限り直らないものである。
午後からの雨が夕方からどしゃぶりとなり、夜になると猛烈な雨となる。この日の雨は、長年キャンプをやっていても何年かに一度遭うか遭わないかという激しいものであった。吾妻山頂の一晩の雨量が百ミリだそうで中の沢の砂防ダムを飛び越えて流れる水量と水音はすごいひびきであった。子どもたちも肉体的にも精神的にも一番の落ち込みの時に、さらに天からの強烈なパンチであった。自然の厳しさを教えられ、この試練にじっと耐えた後の子どもたちは一段とたくましくなり、自信ある行動がみられるようになった。
資料1 キャンプ中の元気さ
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資料2 疾病状況
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・わけもないけど、どうしても夜眠れませんでした。なぜか夜になって寝ぶくろに入ると寝付けなかった。自分でも不安な気持ちはなぜなのかいろいろ考えても答えはでませんでした。(小五・女)
・夜すごい雨だった。テントの中は水がしみこんできてぜんぜん眠れなかった。でもみんなで励まし合ってなんとかのりこえられた。自分の体力に自信がついた。(中二・男)
原始生活の日
自給自足生活体験は、このキャンプの総まとめである。電気もマッチも時計も使わず、全くの原始生活に挑戦した。
まず、火起こしに挑戦した。乾燥した木にへこみをつけ、舞いきり、弓きりという棒を回して種火をおこす。黒い粉から煙は出ても火は起きず、悪戦苦闘してやっと赤くも草に火がつく。さらに火を大きくする。子どもたちは煙で目を真っ赤にしながら火種を吹き、燃え上がらせていた。火は、一日中絶やさずに燃やし続けなければならない。火を得ることの難しさ、火の有難さを知った。
次は、竹飯づくりに挑戦した。青竹に米や水を入れ、ごはんやみそ汁をつくった。誤って青竹を落とした班は、こぼれた米粒を拾い、砂まじりのご飯を食べていた。食器、はしは、自分の手を痛めてつくった竹製の物。一味も二味も違ったおいしさにニコニコ顔であった。
竹のケン玉や紙鉄砲つくりを楽しんだ後はまたまた昼食の準備となる。
材料は、小麦粉とみそだけが、班ごとアイデアを練り、竹にさした焼きダンゴやウドン等にして奇妙な味付けながらも、おいしそうにほおばっていた。
小野川の原野を拓いて小屋づくり
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・私は今まで夜暗くなったら、電気のあるのがあたりまえで、電気があることはちっともうれしいことではないと思っていました。けれどこの十日間生活して電気がどんなに大切なものか知りました。テントの中で楽しく遊ぼうとしても、電気がなくて何も出来ません。できるのは、おしゃべりだけ、夜トイレに行くのにも暗くていやだし、とても不便な生活でした。この不便な生活がとても良い経験でした。(小六・女)
・班長なので、いろいろ予定を連絡したり、仕事を与えたりした。みんなが仕事をしないときは、ふてくされて自分一人で仕事をしたときもあった。結局、自分のためにもみんなのためにもならず、自・分の時間をつぶしただけであった。ここで協力の大切さがわかった。(中二・男)
冒険の日
「チクサク チクサク」「ホイホイホイ」とチクサクコールで一致団結、気持ちを奮いたたせてさあ出発。
白いしぶきを上げてすごい勢いで流れる沢を必死になって登る。沢の水は
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