教育福島0136号(1989年(H01)01月)-053page
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博物館ノート
板碑の丘
戦乱の世の人々の祈りを伝えて
板碑は、鎌倉時代から室町時代にかけ「死者の冥福や、来世の安楽を祈ってつくられた供養塔です。関東地方を中心に豊富につくられましたが、中世を通して各地方でも板碑の造立が盛んに行われました。そしてそれぞれの土地でその地に産する石材を使って板碑はつくられました。ここに掲げた板碑は、須賀川市の籾山遺跡より出土したものの一部です。石質は砂岩質凝灰岩で、やや柔らかい石です。そのため関東のものにくらべると、厚さがあります。ここにこの板碑群の特色がみられます。頂部を三角形にし、上方中央に種子(梵字で仏菩薩を表わしたもの)を刻み、その下に年号や法名をあらわすこともあります。
種子については、一つの仏菩薩で数種の種子をもつこともあり、また同じ種子がいくつかの仏菩薩に共通して用いられることもあります。今、この板碑群で判別できる尊名をあげてみると、阿弥陀如来とその脇侍である観音、勢至菩薩。薬師如来と同じく脇侍である日光、月光菩薩。大日如来などが知られます。三尊を同一碑面に彫るのではなく、別個の板碑に一曹一基で表わしているものがみられます。これらは板碑三基で、三尊形式となると考えられます。この板碑群の特異な三尊形式といえるかもしれません。
籾山遺跡からは、断片をも含めて百数十基の板碑が出土しています。このあたりが、板碑建立の場所となっていたのでしょう。これらの板碑で、年号の判読できるものを調べてみると南北朝時代の年号がしばしば見られます。中通り地方では、この時代南朝方と北朝方に分かれて、戦闘が繰り返されていました。このような戦いの中で命を落とした武士たちも多かったことでしょう。戦乱で亡くなった人々の冥福を祈るために、これらの板碑の多くは建てられたものと考えられます。
新年度の企画展(予定)から
・縄文の四季 (平成元年四月〜六月)
・町の成立とにぎわい (同七月〜九月)
・中通りの仏像 (同九月〜十一月)
・東北の陶磁史 (平成二年一月〜三月)
復元された坂碑群 (博物館展示室)
坂碑に彫り込まれた祈りの文字
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