教育福島0138号(1989年(H01)04月)-028page
春の息吹き
高梨光一
年度末になると、現実から離れて一日中たっぷりと自然の中に浸りたい、という思いが生理的にといっていいくらい、不思議に毎年湧いてくるのですそんなとき、いつも、クロスカントリースキーで、裏磐梯の山野をかけめぐることにしています。お茶と軽食のはいったディパックを背に、小さな双眼鏡を胸にぶらさげて……。
クロスカントリースキーは、スニーカをはいたかのように軽く、しっかりとしまった雪面上を、一匹のウサギになった気分で自由にかけ回ることができるのです。
裏磐梯はまだ白一色の世界ですが、かすかに春の息吹きが感じられ、どこか空の色が違います。冬の日の凛とした青空から、おだやかで優しさを含んだ青空に変わっています。
一片の緑もない裸の木々でさえ、樹皮が陽光に照り、笑っているかのようです。野鳥の世界はまたにぎやかで、つい最近までカラ類の細いさびしげな声が聞こえたのに、もうホウジロが「一筆啓…一筆啓上」とさえずりの練習を始めたし、シジュウカラやマヒワ、そして、ウソもエサを求めて活発に動き回っているのが目立ちます。水辺では、カモが水面を滑る速さを増し、輝かして季節はもうすぐと、俄然活気を帯びています。
雪面には、ウサギの特徴ある三拍子の足跡が縦横に印され、その中で調子が良さそうな足跡を選んでたどって行くと、見晴らしの良い丘の上まで来て、後肢だけの足跡が残されていました。「ははん、ここでやつは二本足で遠くを見回して、空がまぶしいから手でひさしをつくったろうな」と想像し、自分も同じ姿勢で遠くに眼をやります。
吾妻連峰はまだ樹永をいただきながら、うす青く輝き、磐韓山爆発でできたカルデラ壁は、屏風のように力強く立ちはだかっていました。自然の胎動あふれた空間の、何と輝かしい光に満ちていることでしょう。また、何と香わしい大気に満ちていることでしょう。
さて、うかうかしておれない、自然のすばらしさを子どもに伝えるのだ。深吸呼を一つして、新しい出会いのある下界へと帰ったのです。
(会津若松市立第四中学校教諭)
故郷に思う
佐藤淳一
遠くには残雪を散りばめた山々、近くには雪解けのせせらぎが聞こえる早春、緑の野に野鳥の声を聞く夏、燃える紅葉の秋、白いベールに包まれた冬、南会津の四季の自然の美しさに心がうたれる。私はつい五年前、故郷南会津に住居を構えた。それ以前は、何日間か帰郷する程度に過ぎず、故郷の自然の美しさを忘れていたように思える。今、この地に根をおろし生活してみると、改めて故郷の自然の良さと豊かさ、更には古人が築いた歴史の重さに感動を覚える。
朝夕の通勤時、しばし故郷の山々の美しい景観に魅了される。矛らかさと優しさを持つ山肌、V字谷を形づくる険しい山の形など、他の土地では見られない懐の深い山が連なっている。今では、観光地としてよく知られている駒止湿原や尾瀬ケ原は、世界でも珍らしい水生植物が自生している。春早い時期から秋遅くまで、いろいろな花が咲き乱れる駒ケ岳や尾瀬沼は、四季を通して訪れる人々の心を和ましてくれる。まさに、南会津の自然の豊かさを象徴している。
歴史に目を向けると、故郷の古い文化に触れることができる。鎌倉、室町時代に建立された寺社、仏閣が今なお数多く残っている。特に、只見町と南郷村の境にある寄木造玉眼の聖観音像は、その洗練された容姿が風化せず、当時のおもかげを残している。私は、今、故郷の自然の美しさと古い文化に触れることができ、とても幸せである。子どもたちにも、この感動、感激を経験させたいと考えている。「七無主義」
雪景色の中にも春の息吹きが(裏磐梯)