教育福島0139号(1989年(H01)06月)-009page

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く適応していく資質を養うため、学校の教育活動全体を通じて養護・訓練に関する指導が行われており、社会参加のために重要な役割を果たしています。

また、中学校特殊学級においても、作業学習の指導などを通して、社会参加を目指した教育が行われています。

 

(一) 社会参加とは

 

涙は流さないで下さい/ぼくは今、あなたと話しているのだから/涙は流さないで下さい/ぼくには信じられるものがあるのだから/涙は流さないで下さい/ぼくは今日を必死に生きたいのだから/ぼくのことを心配するのはやめて下さい/それよりじっと見守ってほしいのです

 

ぼくになぐさめの言葉はいりませんそれよりあなたの生き方を聞かせてほしいのです

 

今ぼくは誓ったのです

豊かな心を最高の財産にしよう、と嘆きやにくしみは人を小さくするから/今度あなたに会った時/ぼくに「ありがとう!」って言わせて下さい/その時はあなたも笑顔で迎えて下さい/涙は流さないで下さい/ぼくはあなたを信じていたのだから

「捨てなければ得られない」(石川洋著、三笠書房、一九八五)より

 

この作品は、脳性まひという重い障害のため、手足が思うように動かないうえ、話をするのも自由にならない肢体不自由養護学校の高等部に在籍する生徒が書いた『誓い』という詩です。

 

また、ある肢体不自由養護学校の校長が、この詩に符合するような話をしていますので、次に紹介してみます。

 

手足の不自由な者が、他人から手や足や眼を借りることはできても、どうしても借りることのできないものがある。この学校では、毎日の生活を通してそのことを教えている。

他人からどうしても借りることができないものとは何か。

それは、「心」である。心だけはだれからも借りることができない。体は不自由であっても、心はみんな同じなのである。その心の生き方を発見することが、この教育では一番大切なことと考えている。

だれにも借りることのできない大切な心を、ただ同情に頼ることだけに使ってしまったら、みじめな思いをするだけである。手足が不自由なのは、そうなってしまったのだから、仕方がない。だからといって、『心の障害者』になってはなお困る。

そうならないようにするためには自分のことは自分でできるようにするというだけでは、目標が小さすぎる。世の中のために感謝と奉仕の心をもって、「心のはたらき」を生かすようにしなければならない。たとえ、何にもできずにベッドに寝たきりの者でも、ほほえみひとつ周りの人に表すことができたら、その人は、世の中の一部を明るくすることができるのである。

養護教育においては、障害が重いなら重いなりに子どもの心のあり方をさぐり、耕すという部分を見落としてはならない。

 

真の障害とは、身体の自由、不自由とは別の次元の問題だという指摘は重要な意味を含んでいると思います。自由に動かすことのできる手足を持っていても、それを人のために生かす心を持たないばかりか、他人を傷つけることにしか使わないとしたら、それは「心の障害者」といわれてもしかたがないように思えてきます。『誓い』という詩もそういう心を吐露しているのでしょう。

 

(二) 高齢社会への準備のためにも

国際的な申し合わせで、六十五歳以上の人口が七%になった社会を高齢化社会、十四%を越えた社会を高齢社会

図1 盲学校、聾学校、養護学校及び養護教育センター地域相談室設置状況


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