教育福島0139号(1989年(H01)06月)-023page

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随想 ずいそう

自然をさがして

自然をさがして

溝井カ男

 

眺めたり・・そして、山に登りたい人あつまれ。・・・・・山岳研究クラブ。

 

野山を歩くのが好きな人、花を探したり、川原の土手に寝転んで雲を眺めたり・・そして、山に登りたい人あつまれ。・・・・・山岳研究クラブ。

これがクラブの呼びかけであるが、生徒たちは学カテストや中体連大会で土・日もなく自然に触れる機会もない。仮に自由な時間があっても、自然の存在を知らなければ、求めることはできないだろう。シートンやファーブルの著書を読んで知識はあっても、実感がないので感動は生まれない。余談であるが、過日生徒指導の話の中で、電燈の下でクモが巣を作る話をした。クモが尻から糸を流して、風で流れついた糸を張って巣をかける話をした時、身動きもしないで聞き入った生徒たちは、教師の体験を実感として受け止め感動したのだと思う。自分のあるがままを自分の手で確めるクラブを作りたい。そんな私は山が好きで、少しでも高い所を好むので山羊と同類と言われるが、それでも、家を造るにも、山を削り、南湖に続く関山を借景して、岩つばめのようにやはり高い所に好んで住みついている。

山岳研究クラブなどと、何と大げさな看板と思われるが、身近なものに対する興味関心が探求する心に大きく広がるのだと思う。例えば、ハルジオンは今ではどこにでも咲く雑草だが、小菊のような愛らしさで、切り花用に輸入された北アメリカ原産と知ると驚く。そして仲間がロッキー山脈の裾野で風にゆれている様子を考えると、大陸に親しみを感じるのも不思議でない気がする。このように、阿武隈川の土手から那須山を眺め、尾瀬の山に続き、それから遠くシルクロードヘもつながる。

白河中央中学校の東側に、道路を挟んで阿武隈川が流れ、低い河岸段丘の向こうに羅漢山が続くので一時限の五十分間で歩くには絶好の環境である。四・五十名の生徒と共に自然を求めて七年になる。さて、自然を探す集団行動で一番大切なことは歩行訓練である。自然は、人間を絶対に甘やかしはしない。だから自然を理解し仲間と協力することを学ばなくてはならない。それは自分が生きることにつながる。歩きながら樹木の変化、岩や、雲の流れまでを観察して現在地点を確認するのも身を守ることである。

五月、玄関の傍らに咲くアメリカハナミズキのスケッチをしながら、日米交流のポトマックの楼の歴史にふれる。

七月、阿武隈川を渡る。女子生徒は水の中での素足の感触に思わず歓声をあげる。

九月、阿武隈川の川原の花十種類を集める。ヒメジオン、キクイモ、アカマンマ、シロツメグサ、ネコジャラシカラスノエンドウ、アカツメグサ、ムラサキツユクサ、アカジソ、ママコノシリヌグイ、全員そろって報告するがシロツメグサなどの花の命名の歴史が面白いという。

十月、吾妻連峰五色沼への山旅、蓬莱山から鎌沼をめぐり、秋の一切経山へ、濃霧のため引き返す、幻の五色沼となる。文化祭は吾妻連峰の展示発表

十二月、羅漢山の土手に冬の花を探す。寒さの中に咲く花三種。オオイヌノフグリ、タンポポ、ハコベ。

「陽だまりのフグリの青さ空かなし」女子生徒の作である。男子生徒が高校では山岳部に入るというのを聞いて思わずほほえむ。

今年も四月、一列歩行で自然を探し始める。

(白河市立白河中央中学校教諭)

文化祭で山岳研究クラブの成果を発表

文化祭で山岳研究クラブの成果を発表

 

 

 

 


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