教育福島0139号(1989年(H01)06月)-025page
割は、この「もう一人の自分」を見つけ出して励まし、より良い「自分」を築かせてやることである。そこには、子どもの個性的な能力をひき出し、生かしてやる教育が必要とされ、そのためには、教師自身の鋭い観察力が要求される。これからは、常に、子どもの心の動きをとらえた指導ができるよう、私自身の研修に励むとともに、毎時間の授業においても、子ども一人一人の能力や適性を可能な限り開発し、伸長させて、社会に役立つ人間に育つよう、学習形態の工夫や指導の個別化などの配慮を加えていきたいと考えている。
以前に、ある校長先生から、「教師は、幅広い学問と、教育技術を身につけることが要求される学者であり、命をあずかり育てる教師としての医者であり、児童を引き付ける演技力を身につけた役者であり、子どものわずかな表情の変化から心の奥底を洞察する心眼を持つ易者であること、すなわち、四者悟入の境地を持つことが大切である」と、ご指導を賜ったことがある。日本の未来にとってかけがえのない子どもたちの、全人的な教育をするためにも、常に心にとどめておきたいことばである。微力ではあるが、子ども一人一人の個性を生かすことに、全力で取り組む覚悟である。
(石川町立石川小学校教諭)
桜に思う
佐久間典子
霞ケ城公園の桜が、今、満開である。暖冬ということで、例年より早い花見となった。しかし、今年桜を見たのが、これが最初ではなかった。二月のある日、花屋さんの店頭で切り花を見ている。「もう桜ですか」私は、鋏で枝を整えているその店の奥さんに声をかけた。
「この時期には珍しいですね。暖かい地方から送られてくるのですか」
「いや、これは温室で咲かせたものなのですよ」
忙しい手を休め、私の興味に答えてくれた。そして次のようなことを教えてくれた。
山から枝を切り採り、それを温室に入れ、加温することによって一足早く咲かせることができることを。いつでも加温すれば咲くかというと、そうではなく、桜の枝は、落葉後必ず寒い冬を経なければならないことを。
私は礼を述べ、その桜の切り花と菜の花を買い求め、店をあとにした。
国語の教材に染色家の志村ふくみさんの話が載っているが、夫の友人にも染色家の方がいる。草木染めを専らにしている人であるが、先日、彼の工房を訪ねる機会があった。そこで彼は私に、一反の着尺を見せてくれた。
「どうです。奇麗な色でしょう」
桜の花びらを一枚一枚紡いで織り上げたような薄桃色の、何とも言えぬ淡い色合いを見て、私はそこに春を感じた。
「桜の皮ですよ、これは」
「なる程、本当にこれは桜ですね。しかし、皮が花の色を隠し持っているとは不思議なことですね」
「そうでしょう。しかし、この桜の色が出るのは、花の咲く前、二月か三月に採った枝でないとだめなのです。それ以外の月では、茶色にしか染まらないのですよ」
そして彼は私に、寒い冬の年には発色が強いことを教えてくれた。
今、私は校庭の白い桜の花(盛りを回ったことにもよるが……)を見て、あの花屋さんの言った言葉を思い出していた。
二度寒い冬を体験しなければ花は咲きませんのよ。それも、寒ければ寒い程美しい花を咲かせるものなの」
そして、染色家の言った言葉を。
「花の咲く直前が一番奇麗な色が出るのです。そして、寒い冬の年の桜は発色が強いのです」
今度は教室に目を転じる。今、無邪気に、楽しそうに級友と談笑しているこの子どもたちにとっての冬とは、どんな時期を言うのであろうか。受験を控えている彼らにとって、この一年は一つの冬と言うことができるのではないだろうか。寒い・厳しい冬を乗り越えて、来春奇麗な花を咲かせてほしいと願わずにはいられない。
(二本松市立二本松第一中学校教諭)
この子たちにも来春は奇麗な花を咲かせて欲しい