教育福島0139号(1989年(H01)06月)-028page
ふれてくる。春はドッチボール、ビー玉、めんこ、夏は水泳、秋は雑木林をかけ回り、冬はスキーとそりのり、そのころの歓声までが、伊南川の水面に広がっていく。あのころは、川の水も多く、大きく思えた伊南川が、小さく感じるのは、私の体の成長のせいなのか、それとも自然が小さくなったためだろうかと回想にふける。
朝日とともに、その川面の鏡を破って鮎がはねる。一瞬の喜び、再び鮎のはねあがる姿を見ようと目を凝らす。しかし、その確かな姿を目にとどめることができないで、水面にいくつかの輪の広がりを見るだけだった。夫に勧められるままに、水眼鏡でのぞくと、全身がゾクッとするほどの水の冷たさと神秘的な水中の美しさに魅了された。
白や黒、茶の小石を色鮮やかにちりばめた川床、大石には緑色のコケや緑藻が生き生きと生長している姿、その空間に、藍黒色を帯びたオリーブ色の生気あふれる優雅な鮎の動きに、感動せずにはいられなかった。水面の美しさにもまして、水中の美しさがこれほどすばらしいものとは思っても見なかった。つい今まで、自然の外観的な美しさばかりに目や心を奪われ、その奥に潜む真の美に気がつかなかったり、むしろ、見ようとしない日々を過ごしていたように思える。
今年もまた、三十一名のさわやかな若鮎たちに出会うことができた。この若鮎たちの表面の美しさだけに目を奪われることなく、その陰に潜む真の心の美しさや人間としてのすばらしさに、目を向けてやりたいと思っている。
すこやかなわが子の成長を願う父兄のみなさんとともに。
雪解けのせせらぎの中を
ひきしまったからだで
すばしっこく動きまわれ
若鮎たち
朝焼けの静かな水面を
自分のすべてを躍動させ
とびはねては輪をつくれ
若鮎たち
伊南川のさわやかな流れ
伊南川の美しい流れ
そのしなやかな心とからだを
惜しむことなく躍らせよ
三十一匹の若鮎たち
(学級通信「若鮎」より)
(伊南村立伊南中学校教諭)
私の中の春
石本 健
福島に赴任してきて四度目の春を迎えた。今年は暖冬だったせいか、桜前線の北上も早く、四月初旬には県庁裏の阿武隈川に面した土手の桜がすでにほころんでいた。桃やこぶしや菜の花も先を競うかの如く咲き乱れ、まさに百花績乱、春彌漫である。
春はまた、街中でオートバイを見かける機会の多くなる季節でもある。最近は中年ライダーや女性ライダーの増加も目覚ましく、ちょっとした自動車よりも高価なオートバイに乗っている人も多い。私はそれを、羨望と諦念の入り混じったまなざしで見ているのである。目に映るライダーにかつての自分の姿をオーバーラップさせながら。
私とオートバイとの出会いは大学に入学してからのことだった。最初は原付バイクで満足していた私であったが、半年もすると原付には飽き足らず、自動二輪の免許を取ってオートバイにまたがっていた。二年生の夏休みに、同じ下宿の仲間三人と東北一周ツーリングをしたのだが、その時の感動が忘れられず、三年の時は北海道、四年では九州そして北陸を回って歩いた一走った一。
オートバイの魅力は、むき出しのエンジンから太いマフラーを伝って出る「ビリビリビリ」という独特の排気音と、体の中までをも風が吹き抜けるような、走行時の爽快感にある。また、オートバイ旅行は、電車や飛行機の旅行と違い、自らの意思と体力で目的地にたどり着いたのだという充実感を持てるところがいい。自動車ではどうしても「車に連れていってもらった」という感が拭いされないし、自転車では一日で動ける範囲が狭すぎる。私がオートバイを愛したゆえんである。
だが、オートバイもいいことばかりではない。宮崎の日南海岸を走ったときは一日中雨にたたられ、カッパを着ていたにもかかわらず、宿に着いた時にはパンツまでぐしょぐしょになってしまっていたし、春先のツーリングでは、前を走る車に道路の雪どけ水を跳ねあげられて泥まみれになったこともあった。それでも、旅行で同じようにツーリングをしている人たちとすれ違うときに交わすピースサインは、そんなつらいことを一ぺんに吹き飛ばしてくれる。