教育福島0139号(1989年(H01)06月)-029page

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最近、暴走族による事件がまた新聞紙上を賑わしているが、街中で暴走行為をしている若者を見ていると、オートバイの良さを履き違えているのではないかと思えてならない。彼らもツーリングをしてみるといい。果てしなく続く大地は、人の心を大きく、そして優しくしてくれる。美幌峠から望んだコバルトブルーに輝く屈斜路湖の水面や、モンゴル高原を思わせる阿蘇の草千里を目の当たりにして、鳥肌が立つような感動を覚えたのは私だけではないだろう。

就職と同時に卒業したはずのオートバイであるが、決まって今頃になると気になり出すのである。

(県教育庁財務課主事)

 

向き・不向きに思う

渡部節子

 

ると、前日までのあわただしさとは違った緊張感が体全体にあふれてきました。

 

「平成元年度、入学を許可される者」という声が体育館に響き渡ると、前日までのあわただしさとは違った緊張感が体全体にあふれてきました。

担任が発表されてからの五日間というものは、毎日入学の準備に追われ、手落ちはないかと駆け回るうちに新入生を迎える楽しみが自然とわいてきました。子どもたちの名前をすべて暗記し、最後は、子どもたちへ話す言葉の準備です。実際に話すとおりに書き、小さい声で練習します。話す速さ、間のとり方、表情はこれでよいのか、と子どもとの初めての出会いに心が躍ります。

しかし、一年の担任になると、いつもふと思い出すことがあります。それは、初めて赴任した学校で校長先生から、「あなたは、高学年のほうが向いていますね」と言われたことです。なぜそう言われたのか気にかかりましたが、そのときはそんな面もあるだろうと思いながら高学年を担任しましたが、五年目の春とうとう一年の担任になってしまいました。そのとき、校長先生にやはり前と同じことを言われたのです。それ以来、私の心のすみには、常に低学年は私に向かないという思いができてしまい、弱気になることがたびたびでした。

校長先生の言葉は、私を育てるための温かいご指導だったのですが、私が未熟だったため、意を十分に汲み取れないまま、時が過ぎていきました。

しかし、今では、七回目の一年生担任ができるまでになり、あのころを思い出しております。今、やっと校長先生の言葉の意味が分かり、自分の弱点を研修でなおし、自信を持って教壇に立てるまでになりました。

何よりも大事なことは、あせらず、根気よく、しかも心にゆとりを持って子どもと毎日接することに尽きると思います。

思いこみの「向き・不向き」を心の中から追い出し、何でも前向きに挑戦してみることは、自分自身を成長させるとともに、この姿がそのまま子どもにはね返っていくことを思うと腰を据えてかからねばと痛感するばかりです。

(本郷町立本郷第一小学校教諭)

心にゆとりを持ってこの子どもたちに接したい

心にゆとりを持ってこの子どもたちに接したい

 

時間と視点

五十嵐 敦

 

や発達・成長という変化をとらえる点での時間の持つ意味について考えてみた。

 

時間と私たちの生活は、切っても切れない縁がある。特に学校では、生活時間を重視し、時間を守ることを強調する。そこで、日常的な時間意識や発達・成長という変化をとらえる点での時間の持つ意味について考えてみた。

日本人にとって勤勉な生活とは、時間に切れ目をつくらず、継続的に学習や労働に励むことであった。なかでも学校は、効率化とその速度崇拝の点で日本的であったとも言える。小学校唱歌「村の鍛治屋」などに、この日本的時間の姿が象徴されると指摘する人もある。型通りのことを目標にむかってとどこおりなくすますことが大切なのだ。しかし、どのような状況でも型通り続けることには無理がある。型通り

 

 

 


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