教育福島0139号(1989年(H01)06月)-030page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

で安心してしまうのは形式主義的でしかない。そのままで新しい状況を生むことは困難である。学校の時間感覚はまだまだ固定的で生き生きとしていないと感ずる。話が逸れるが、最近、声高に言われる教育相談等についても賛否の立場があるものの、そのいずれもが学校生活へ適応させるための方法と考えているが、そこにはやはり学校というものを固定的にとらえる点で問題がある。

このように私たちは、ともすると時間でさえ単純化し平板にとらえてしまう。その場の状況や物事の複雑さを都合にあわせて割り切ってしまいがちである。時間の性急さに追われながらもどこかでその性急さに合った認識パターンにひかれている。

教育の場では「長い目」で見ることがよく強調される。だが現実には、前述のようなパターン化の中で、短期予測的視点で生徒を見ている。よく生徒に対し、その未来展望の中で今をどう生きるかが問題となると言う。しかし、直線的時間というか、因果論的に結果というものがすぐ出ることを期待してしまっている。

過日の授業で環境破壊の話をした時、地球の歴史を一年の長さに置き換えたものを提示した。人類の出現は十二月三十一日午後八時、文明と呼ばれるのものは十一時五十九分、自然科学の発達はまさに一年も終ろうとする二秒前のことである。このわずか二秒で、私たちは地球の歴史を大きく変え、地球そのものを失いかねない状況をつくった。未来をひらくための努力があまりにも予想外の結果を生んでしまったのである。

私たちが物事を考える際に、固定的で一方的な視点はむしろ理解の妨げになることが多い。たとえば、かつて厳しすぎる父親が非行の原因とされたのが、今では父権喪失、甘すぎる無関心な父親の問題が指摘されているのである。にもかかわらず直線的で短時間的物の見方が学校でも多い。学校自体を時間軸上で問い直してみることも必要である。単に現実を忘れるのではなく、また、ただの復古的郷愁に陥るのではなく、流れや変化を意識的にとらえた視点が求められるようになったのかもしれない。これからも時間とともに自分の信条や教えようとするものを考えて行きたいものだ。

(県立矢吹高等学校教諭)

 

訂正

前号教育ひとロメモ"職員の勤務を要しない日"の中で、「県費負担教職員の勤務を要しない日等の取扱いについては、県立学校職員の例による」とありますが、市町村立学校栄養職員については、市町村職員との関連等を考慮し、従前同様事務職員等と同じく取扱うこととなります。

 

行事あんない

 

奥の細道 文学セミナー

文化課

 

松尾芭蕉が光禄二年に「奥の細道」の旅に出て、今年でちょうど三百年になります。

これを記念する行事が東北を中心に全国各地で開催され 芭蕉の芸術や生き方、そして東北の文化と歴史に対する関心が高まっています。

県教育委員会では、これを機会に、「奥の細道三百周年記念事業文事セミナー」を開催します。

文事を志す方、地域における文化活動指導者及び、広く一般の文学愛好者をも対象に 講義と質疑応答によって、芭蕉の業績や文学と人生についての理解を深めようとするもので 詳細は次のとおりです。

 

奥の細道 三百年記念事業

文学セミナー

 

日時 平成光年七号八日(土)

午後一時から

場所 郡山市民文化センター

(五階)集会室

内容 講演と質疑応答

松尾芭蕉による「おくのほそ道」の旅から三百年を教えるのを機会に、その偉大な文学芸術的業績や郷土福島の祖先と文学とのかかわりをしのび 現代に生きるわれわれ自身の人生に思いをいたす−

 

◎講演「芭蕉と奥の細道」

・尾形 仂(成城大学教授)

東京生まれ。東京文理科学卒。東京教育大字教授を経て現職。主著 「松尾芭蕉」(日本詩認人選十七)「座

の文学」「芭蕉・蕪村」「俳諧史論考」など。

「福島県と奥の細道」

・横井 博(日本大学教授)

郡山市生まれ。東北大学卒。日本大学教授 日本大学東北高等学校校長。主著 「印象正義の文芸」「対訳源氏物語」「ふくしま奥の細道」、「芭蕉と歌枕」など。

入場無料

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。