教育福島0140号(1989年(H01)07月)-026page

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うになるといいですね」「はーい」と、力強い返事。いっか子どもたちは、小さな芽になりきって目を輝かせ、背筋をピンとさせている。「うわっ、みんなすごいなー。しっかり根がついたみたいです。よし、先生も今日から、みんなと仲よし、みんなの芽がぐんぐん育つようしつかり応援しますよ」

子どもたちの顔は安心の色でいっぱいである。「みなさんは、太陽が好きですか」この言葉を糸口に、その後、子どもたちと私の会話がしばらく続き、太陽は、いつも明るく、強く、そしてやさしくてみんなのためになるというまとめにたどりついた。「みなさんが、大人になったら、太陽のような人になってほしいと先生は思います。では、これから先生の作った太陽マンのお話をします」と、その時「先生、Tくん、ぼくのことをたたきました。ぼく何もしていないのに」「うそだい。Kくん、ぼくのおしりつっついたの」と、二人とも口をとがらせ、今にも泣きだしそうである。「二人とも、どれどれ、先生にはじめからお話してごらん」「あの……。あの……。Tくんは……。」と、会話が続く。

私は、おちついた気持ちで二人の言い分をていねいに聞いてやった。やがて、二人はもとのニコニコ顔にもどった。

しおれた芽をつみとってしまうことは、ごく簡単である。しかし、私たち教師は、一つ一つの芽をしっかりみつめ、どのようにすると、その芽は生き生きと伸びていくか、授業の中で、又日常生活の中で温かく見守ってやることが大切であると思う。

いっか、しっかりと根をはった大木になり、太陽に届く大人になることを期待しながら……。(福島市立平野小学校教諭)

 

初心に学ぶ

木下 忠孝

 

紅葉、そして、冬は豪雪。四季折々に変化する豊かな自然に恵まれた所である。

 

曲がりくねった山道を通りぬけ、やっと見えた人家。四月というのに、道路や校庭にあるいっぱいの雪。この光景は、新任教師として赴任した私の不安を一層募らせた。耶麻郡山都町立山都第三小学校川入分校。飯豊山の登山口にもなっている山あいの小さな学校である。春は野山いっぱいの山菜、夏は清らかな川での水遊び、秋は色あざやかな紅葉、そして、冬は豪雪。四季折々に変化する豊かな自然に恵まれた所である。

新任教師にとって、毎日の授業や生徒指導など、どれをとっても戸惑うことばかり。教科書や指導書と首っぴきになりながら国語は、算数は、音楽は……どう指導したらよいのだろう。指導内容も指導技術も十分に身についていないうえ、複式学級のため、二学年分の教材研究が必要だったので、不安や焦りはなおさらであった。だが、子どもたちに、少しでも力をつけてやらなければという思いもいっぱいであった。そのため、困ったことや指導法などを同僚の先生に相談したり、先輩の先生方からいろいろなアドバイスを受けたりして、少しでも前進しようと努力をした。そのため、夜が白むまで教材研究に時間をかけることもしばしばだった。

全校生十三名という少ない人数は、一人一人の子どもと接し、子どもの心をとらえるのに幸いだった。「先生、スキーはこうやるんだよ」ふだんは落ち着きがなく、学習意欲に欠けるS男だが、この時ばかりは、得意になって手本を示してくれた。スキーの時は、分校の全児童が先生であり、私が生徒である。

分校の近くにある林の中には、なめこの原木がたくさんあった。それらを見ながら、なめこができるまでの様子をいろいろ話してくれた丁子。

子どもと共に遊び、共に学び、話し合う中で、ある時は子どもの立場になり、子どもに教えてもらうこともたびたびあった。また、一人一人の子どもの考えや内面的な部分も、少しずつとらえることができるようになった。

無我夢中で過ごした三年間。学力面で、子どもたちに十分力をつけることができたという確信はあまりないが、子どもと共に学び、子どもたちのために精一杯がんばったように思う。

あれから十五年たち、中堅と言われる年代になった。新任教師のころに比べれば、学習指導や生徒指導など、ある程度の余裕と見通しをもって指導ができるようになった。しかし、毎日の授業はマンネリ化した指導になっていないだろうか、一人一人の子どもを見つめ、心をとらえた指導をしているだろうか、教育にかける情熱を忘れかけてはいないだろうかなど、反省させられるこのごろである。

無限の可能性をもっている子どもたちを伸ばしてやるために、そして、子どもたちの幸せのために、なお一層自己研修に励むつもりである。(いわき市立夏井小学校教諭)

 

 

 


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