教育福島0140号(1989年(H01)07月)-027page

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北風の歌い声

印田 恵美子

 

て下さったもので、それから一年以上も経って、私は娘の詩に初めて出合った。

 

五月のある日、六年生の娘に、四年生までお世話になった棚倉小より、思いもかけない贈り物が届いた。それは、今年の四月の末に朝日新聞の゛小さな目"に載った、娘の詩のコピーと記念品であった。その詩は四年生の冬に書いたのを、担任の先生が投稿して下さったもので、それから一年以上も経って、私は娘の詩に初めて出合った。

 

「北風の歌い声」

ビュオウー

ビュオウー

ヒュルルルルー

強い風が 私をつきぬける

シュルルルルー

道路を かれ葉が すべっていく

ビュオオウー

ビュリュールルルルルー

うたが聞こえてくる

北風が うたっている

 

娘が満一歳の誕生日に、私は育児休暇から復職した。娘は日中は知人にお世話になり、二歳からは、部活動の指導で私の帰りが遅いために、保育園と知人宅との二重保育になった。三歳になって、夫婦共に、浜通りから中通りに転勤になり、引越した次の日から、会ったばかりの近所の人に娘をお願いして出勤するという有様で、新しい保育園に慣れるまで大変であった。入学前の一年間、幼稚園に通わせたことも、不適応を増進させてしまった。二年保育なので、転入生になってしまい、また、大半はお母さんが家に居る幼稚園児の中にあって、お母さんの居る家に帰れない寂しさや心細さから、自信を失ってしまったのだろうか、元来は男の子勝りのエネルギッシュで天真燗漫な子なのに、集団に溶け込めなくなってしまった。自分の家に帰りたがったため、小学校からは鍵っ子になったが、冬期になり、日が落ちてから一人で家に居るのをこわがるようになった。塾通いなどをさせたりして、急場をしのいでいたところ、幸いにも保育園の先生から、保育園の学童保育を勧められた。娘は教育的な温い環境で過ごせるようになり、娘の心は安定した。

保育園や家では元気一杯だったが、学校では、のびのび振る舞えなかった。小学校の担任の先生方は、娘の本来の明るさや活発さを引き出すべく、心を砕いて下さった。この詩を投稿して下さった添田先生は、新聞作り、詩作り、国語教材のワークシート作り、と心を開かせる努力を惜しまなかった。娘は日記で初めて自分の言葉で先生に話しかけ、自分を出せるようになった。善郷小では、学年の先生方が班活動や家庭への通信を通して、子どもとは、父親とは、家庭は、と問いかけ、健全な心を取り戻す努力をして下さっている。娘は、目下、班の研究課題「遊びについて」の発表の準備にがんばっている。我が子三人とも、それぞれ、慈愛に満ちた先生方との出会いによって、心の傷を癒やし、伸びやかな自我を取り戻しつつある。先生方の存在は、私にとっても心強く、感謝の念でいっぱいである。

私も教職にあって、生徒の様々な心のゆがみや問題行動に突き当たるが、それらの奥にある彼等の願いや、本質を見つめる目や、心を開かせる英智や慈悲の心を持てるように努力していこうと思う。挫折し、行き詰まる時も、今は北風の中、と、娘の「北風の歌い声」の詩を唇に託して、北風に向かって、進んで行こう。(県立石川高等学校教諭)

 

自然からの贈り物

児島正志

 

ながら、小さな手のひらに宝物でも持つように、最高の笑顔で私に見せたのだ。

 

ある日のこと、六歳の娘の純子が学校から帰ってくる私を、待ってましたとばかりに迎え、ありったけの笑顔で、「お父さん、今日ね、公園で四つ葉のクローバーを見つけたよ」と声をはずませて得意気に話しかけた。・純子は、生まれて初めて幸福を呼ぶ四つ葉のクローバーを自分で見つけ、顔を赤らめながら、小さな手のひらに宝物でも持つように、最高の笑顔で私に見せたのだ。

妻は、今日の笑顔は、クリスマスにサンタさんから欲しい物をプレゼントされたときより、ずっとすばらしいと言う。

少々不思議に思ったが、すぐそばで、虫歯を見せながら、にこにこしている純子を見たらすぐにうなずけた。

さらに、

「ひとつの四つ葉のクローバーで、こんなに喜び、ほほえみを見せるなんて、子どもってかわいいね」

 

 

 


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