教育福島0140号(1989年(H01)07月)-029page
さつきの花
北原 郁夫
今年も「日光」「晃山」「旭の泉」などが花をつけ始めた。
十年程前、ある先生からさつき一鉢をいただいたのがきっかけとなり、さっきの花の魅力にとりつかれ、暇をみてはさっき盆栽を楽しんでいる。
最初のうちは、さっきの種類を大分集めたが、このごろは手入れが容易でないので、良いものを少しだけにして楽しもうという考えに変わってきた。
さっきは、手入れを少し怠っているとそれなりにしか育たないのである。水やりなどを忘れるとすぐ枯れてしまうので、晴天の日など、朝夕たっぷり水やりをすることにしている。
また、花が咲き終わった後の剪定や植え換えは、時間のかかる仕事である。そのほか、定期的に消毒をしないとすぐ虫がついたり、いろいろな病気になったりする。
鉢回しといって、月に九十度位ずつ鉢を回していく手入れもある。これをしないと、花が一方だけしかつかなかったりする。また、冬の期間、ある程度の寒さや霜に当てないとよい花が咲かないのである。
これらの手入れをまめにしてやると、やっただけのことがあり、見事な花を咲かせるのである。
教育も全くこれと同じように思える情熱をもって一人一人を大切にする教育をすると、子どもたちも必ずこれに応えてくれるような気がする。
今年の正月、二十数年前の教え子が二人で遊びに来てくれた。すでに子どももいる成人である。中学時代に叱られたこと、一緒に「007」の映画を見たことなど昔話に花を咲かせ、楽しいひとときを過ごした。
このうちの一人は高校入試に失敗したが、そのことも良い勉強になったと言い、今は、人間味あふれる警察官になることをモットーに勤務しているなど、これからの生き方も聞かせてくれた。私が考えていた以上の立派な成人になっているので、本当に嬉しく思った。
しかし、このような生徒ばかりではない。努力のかいあって高校に入学したが、間もなく、バイクの事故で若い命を落してしまった教え子もいる。告別式に参列しても、何かやりきれない複雑な気持ちになってしまった。中学時代の指導で何が行き届かなかったのだろうかと、反省することもたびたびである。
学校でも家庭でも、生命の大切さを教えること、思いやりのある人間に育てることを忘れたわけではないが、「勉強、勉強」と知識だけを身につけさせ、高校入試突破を目指させていたことを反省するとともに、これからは、もっと本質的な教育に十分時間をかけるよう心がけていかなくてはならない。
一人一人が、幅の広い人間、本当に強い人間、青操豊かな人間になるように、さっきの手入れと同様、きめ細かに教育をしていかなくてはならないと思っている。(いわき市立内郷第一中学校教頭)
Sとの出会いから
八巻 智江子
転校初日、身なりの指導に反発し、学校を飛び出した都会っ子の家庭訪問から、Sとの出会いが始まった。
「すごい突っ張りでも、心許せる先生には、とことん従う子なんです。だけど逆に…」母親の半ば口惜しそうな言葉は、むしろ、「ならば、私流にぶつかってみよう」という思いにさせた。しかし、迷わずそうさせたのは、Sの中に垣間見た素直さであった。本音でぶつかることを決めその日のうちに、渋る親子を説き状せ、店に案内し標準服を揃えさせた。
夏休みの最終日、休み中を都会で過ごしたSは、約束した電車でなく、最終電車で帰宅した。まるで、水を得た魚のように生き生きしていた。伸び放題の真っ赤な髪を染めなおさせ、明日の登校を約束し帰宅したのは、夜十一時を過ぎていた。
怠惰な生活を送っていたSは、いくつかの暴力事件を起こした。その度、謝罪の気持ちを形として残すよう納得いくまで話し合った。卒業生の学生服を譲り受けて与えた。やっと、髪を丸刈りしたのは、それから二週間後のことであった。
校内合唱祭は、我が校が誇れる伝統的行事の一つである。私の学級も、リーダーを中心に頑張っていたが、一部の男子がまとまりに欠けていた。しばらくぶりで、Sは、学校に来た。「皆を引っ張ってくれるような大きな声で歌ってほしい」と話すと、翌日には、歌詞を覚えてきてくれた。全員揃っての練習は、何か違っていた。体格に合った大きな声で真剣に歌う姿は、