教育福島0141号(1989年(H01)09月)-023page

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随想 ずいそう

 

三匹の

 

三匹の

ホタルから

 

鴫原和哉

 

鴫原和哉

このごろ、豊かな自然を求める人が増えている。私自身もその中の一人だ。

これからの季節、豊かな緑と、そこを通ってくるそよ風は、何ともいえない、心地好さを運んでくれる。また、緑濃い林の中で聞くミンミンゼミの鳴声は、日射しの下で耳にするそれより、快いものである。更に、夜、青白い光を放って飛び交うホタルもまた、「自然が豊かだなあ」という気持ちにさせてくれるものである。

私の勤務している新殿中学校は、二本松市の東方、約二十キロメートルのところにある小さな学校である。昨年夏、町の方から、地域に生息しているホタルを保存するために、ホタルを学校で飼育してその生態を調べて欲しいと頼まれた。早速、その夜に学校近くのたんぼへ、ホタル捕りに出かけた。それまでは、車で通るだけの場所だったので気付かなかったが、かなり多くのホタルが飛び交っていた。捕えたホタルが産みつけた卵を艀化させ、幼虫のエサの確保などで生徒の協力を得ながら飼育を続けた。その結果、今年の夏、三匹のホタルが成虫となった。「やった。成虫になった!」と、その時、私はとてもうれしい気持ちであった。生徒も喜んでくれた。しかし、私はその後で、こんなことに気が付いたのだ。それは、ホタルを飼育したことを、よく考えてみると、私は、確かにホタルの幼虫にエサを与え、水を換えてやったりはしたが、特別なことをしたわけではないのである。ホタル自身の生きる力によって成虫になったのだ。もしかすると、成虫になれなかった幼虫たちも、野の川であったら成虫になれたかも知れないとも思った。

私は、豊かな自然とはどんなことを言うのか、改めて考えてしまった。今は、人間の手によって作られた自然も、豊かな自然と表現することがあるのではないだろうか。自然を保つために、多少人間が手を加えることはあっても、果たして人間が作ったものを、豊かな自然と呼んで良いものだろうか。人間が何も手を加えなくても、生き物だちが生きていける環境、それを豊かな自然と呼ぶべきなのではないだろうか。

学校でかえった三匹のホタルは、その短い生涯を終えてしまった。しかし、新殿の山あいには今、たくさんのホタルが飛び交っている。何も世話をしなくても、たくさんのホタルが生まれてくる自然があるのだ。私は、このような豊かな自然の中で仕事ができることを幸せに思っている。そして、その自然の素晴らしさを生徒にも感じさせながら、いつまでも、いつまでも保ち続けていきたいものだと思う。

(岩代町立新殿中学校教諭)

 

ある思い出

 

ある思い出

甲斐とよ子

 

を大切にしながら、この子たちの将来の幸せを願い保育に当たってきました。

 

「先生おはようございます」という明るく元気な園児のはずんだ声で今日も一日が始まります。この声に今まで何度励まされてきたことでしょう。私にとってはこの子どもたちの笑顔が何よりのプレゼントなのです。この子たちを思う親の気持ちを大切にしながら、この子たちの将来の幸せを願い保育に当たってきました。

何年か前のことです。私が受け持った子にM君がいました。体格はいいし、元気いっぱい遊べる子でしたが、お弁当の時間になると、おとなしくなってしまい、お弁当を机の上に出すのですが全く食べようとしないのです。

はじめは、「どうしたのかな」「身体の調子でも悪いのかな」と心配しましたがそんな様子も見られず口をつぐんだままです。二、三日様子を見てから

 

 

 


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