教育福島0141号(1989年(H01)09月)-025page

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いわつつじとR君

引地晴子

 

去る六月、市の文化センターへ地学研究会の講演を聴きに出かけた。

 

去る六月、市の文化センターへ地学研究会の講演を聴きに出かけた。

ホールに着くと、「あっ、先生だ。こんにちは。僕たち科学愛好会に入ったんです」髪が伸びかけた今年の卒業生たちである。するともう一人、後ろの方から、

「先生、お久しぶりです」と笑顔で声をかけてきた。R君だ。途端に五年前の出来事が思い出された。

理科が大好きなR君。化石に興味の深い生徒だった。五年前、現任校に赴任した時の二年生である。

その年の四月末の休日に、二ツ箭山へ学校登山を行った。希望参加であったが、クラスの大半が参加した。A君が、元気に案内役を引き受けた。私は何年ぶりかの登山であり、また、中学生たちの健脚とは比較にならないので、マイペースで登ることにした。

「先生、遅いな−」

生徒たちが、前になり後になり案内してくれた。

山道の途中で、R君がうずくまってしまった。腹が痛いという。彼は、おとなしく友だちも少ない。ポリツシュガー症候群という病気にかかり、顔色も悪く学校も休みがちだった。いつもの腹痛であると判断し、

「元気を出しなさい」

と励ましながら、R君に合わせ、更にゆっくりと登り続けた。今まであまり目立たず、ほめられることの少なかったR君。同級生からも疎んじられがちのR君。この登山が何かのきっかけになってくれればと念じながら一緒に登り続けた。しゃがみ込んでしまう彼の肩を抱きかかえながら頂上を見る。もう一息だ。眼下に小川の町並みが見える。平の町並みの向うに太平洋が広がる。左手に目を移すと、月山のいわつつじのピンクが、新緑に映えて美しい。すばらしい眺めだ。

「さあもうすぐだ、がんばろう」鎖につかまり、彼の背を押しながら、最後の力をふりしぼって登り切った。

頂上に到着。彼の目には涙が光っている。

「やったね!R君」

感動して、私も胸がつまったしまった。腹痛などどこかへ吹き飛び、成就感に満ちたすがすがしい顔をしている彼の回りに『わっ』とクラスメートの明るい輪ができた。

その後、卒業までの二年間、R君は時々欠席することもあったが、三年生の後半になって次第に健康を取り戻し、目指す高校に進学できた。他の教料と比べて理科の成績は抜群であった。

その彼が高三になり、科学愛好会の世話係として後輩たちを連れてきたというのである。教え子が同じ世界に興味を持ってくれたのだ。理科担当の私にとってもこんな嬉しいことはない。折りしも、地学の講演内容は、"二ツ箭断層といわきの植物層"の話であった。私には、予期以上のさわやかでうれしい講演会となった。

(いわき市立小川中学校教諭)

 

初任者として四か月

渡邊敏夫

 

日子どもに会うのが楽しみになっており、それほどつらいと思うことはない。

 

朝六時半に目覚し時計の音で目を覚まし、眠い目をこすりながら、ふとんから起き上がる。四月に勤務し始めてから、約二時間はとても朝起きるのがつらかった。今では慣れたもので、目覚し時計がなくても、体の中にタイマーがセットされたように起きることができる。考えてみると大学生の時は、自由気ままな生活を送っていたものである。朝は九時前になど、あまり起きたことがなかった。教員生活は想像以上に忙しく、睡眠不足の時もあるが、毎日子どもに会うのが楽しみになっており、それほどつらいと思うことはない。

私は五年生を担任している。四月当初、私はすっかり女子に嫌われてしまった。私の担任しているクラスは、女子の方が男子に比べ優秀な者が多く、女子がリーダーシップをとっている。

 

二つ箭山の頂上で生徒たちと

二つ箭山の頂上で生徒たちと

 

 

 


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