教育福島0141号(1989年(H01)09月)-026page

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五年生くらいになるとかなり厳しく教師を見ているものである。学習指導においても、生活指導においても未熟なため、私のそれらに対する自信のなさが子どもたちに伝わってしまったのである。私の指導力のなさが女子の反発の原因の一つとして考えられる。漢字の筆順のまちがい、板書が下手なことを子どもに言われるようでは、教師として情けない限りである。信頼される教師の条件を私の子どものころを振り返って考えてみると、授業がうまいこと、指導力があることが挙げられる。このままではとうてい信頼される教師になれるはずがないと思ってしまった。

「初任者だから仕方ない」という理由は子どもには通用しない。確かに私は授業が下手で指導力がないかもしれない。しかし、私は教えようとする熱意が大事なのではないかと考えて、教材研究はもちろんのこと、誠意を持って指導するよう心掛けてきている。特に女子児童とは、根気強く接し心の交流を図っていくために、毎日一人一人に声をかけるよう努力してきた。時には冷たい反応をされ、さびしい気持ちになることもあった。けれども、最近ようやく女子とも仲良くなり、私が風邪をひいた時など、「先生、ぐあい悪いの」と女子児童が気づかってくれるようになった。大変うれしくて、風邪などどこかへ吹っ飛んで行ってしまったようにさえ思えた。

また、私は地域の人々と交流を図り、早く地域に溶け込みたいと考え、父兄のたくさん入っているナイターソフトボールチームの一員にさせていただいた。以前は「父兄はこわい」というイメージであったが、現在ではとても身・近な存在に思えるようになり、何か問題が起こった時なども気軽に相談できるようになってきた。これからも地域の人々との連携を深め、協力し合いながら、子どもの教育に当たっていきたいものである。そして、子どもと共に学び、共に成長していきたい。

(西郷村立羽太小学校教諭)

 

朝もや晴れて

 

朝もや晴れて

森山美和子

 

そんな二年生二十九名と共に、私もまた、張り切って一日のスタートを切る。

 

「先生、おはようございまーす」子どもたちの元気な声がこだまする。とにかく子どもたちは元気だ。朝から目を輝かせている。そんな二年生二十九名と共に、私もまた、張り切って一日のスタートを切る。

 

「先生、ザリガニ持ってきたよ」

「えっ、ザリガニどこにいたの」

「タツゴ山だよ」

「そんなに遠くまでだれと行ったの」

「あのね、お父さんと一緒に取り行ったんだよ」

「そう、助かったなあ。どうもありがとう」

私は、理科の教材に使うザリガニが最近めっきり少なくなって困っていたのだった。Tは、そのことを知り、わざわざお父さんと遠くまで取りに行ってくれたのだ。

「キャー、はさみが怖くてつかめないよう」

「ぼくは平気だよ」

「ザリガニは、後ろへ逃げるんだね」…キャアキャアと、大変にぎやかな授業になってしまった。しかし、どの子を真剣である。見ていると、中には自分なりに工夫をしてナイロン袋を持ち出し、その中に手を入れてこわごわとつかもうとしている子どもがいる。

「どうしたの、ナイロン袋なんか持ち出して」

「だって、気持ち悪いんだもの」初めてザリガニを見たNは、なかなか手ではっかめずにいたのだ。写真やVTRでは得られない、実際に目で見て自分の手で触れることの学習の大切さを実感する。それとともに、わ、ざわざ子どもと一緒にザリガニを取りに行ってくださった父親の、温かい心に感謝せずにはいられなかった。

山の中の清らかな自然の中で、素直で明るい子どもたちと共に生活するようになって、早くも四年の歳月が過ぎようとしている。この子どもたちに、少しでも力を付けさせてあげたい。良さを伸ばしてあげたいと念願しっっ日々研修に努めているが、子どもたちに逆に教えられることが多い。

地域の人たちの熱いまな、ざしと、思いやり、そして惜しみない協力に支えられるにつけて、子を思う親の気持ちが、ひしひしと痛いほどに伝わってくる。子どもたち一人一人の個性を重視し心豊かなたくましい人間の育成にどれだけ貢献できるか、持てる力をすべて出し切って、子どもたちと共に歩む教師になろうと思う。

 

「おはようございます」

今日もまた、子どもたちの元気な声がはずむ。子どもたちの明るい笑顔に囲まれながら、自然に、ごく自然に、私の顔がゆるんでくる。新たなファイト


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