教育福島0141号(1989年(H01)09月)-048page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

図書館コーナー

 

文作品にあらわれた福島

 

いつも気難しい顔をして苦手なタイプと見えた人が、話すうちに出身が同郷とわかって家族ぐるみの付き合いをするようになった、などはよくある話です。文学作品も、舞台が福島となれば、また別の読み方があるかも知れません。いくつかご紹介しましょう。

 

「車は不動沢の鉄橋にさしかかった。恐ろしく深い谷の上に、新しい鉄橋がかかっている。谷を見るために、私たち臓車を降りた。深い谷に臨んだ断崖の上に私は立っていた。」(露見頗著『遠い窓』より)

「塩釜から歩いて最後にみさが売られた金沢屋は、福島でも一、二を競う妓楼だった。北町表通りに面し、住居は裏通りに面した大きな構えである。その隣りもまたその隣りも同じような構えの女郎屋、床屋、小料理屋、仕出し屋の並ぶ賑いだった。」(渡辺喜恵子著『夜明けの河』より)

「話をききながら私は、広八というのも幕末の動最期にふさわしい人物であろうと思った。と同時に、東京を保安条令で追放されたわが一族の主人公が梁川で眼医者をやって成功した理宙もわかる気がした。梁川も飯野剛同様、東北には珍しく開放的な出入りの自宙な気風の町だったのであろう。」(安岡章太郎若『大世紀末サーカス』より)

「折りしも二本松町は恒例の菊人形の開催中である。この町は遠く奥羽山脈と阿武隈山脈に囲まれた平和で美しい城下町だが、特別の産業もなく、工場誘致にも適合せず、城の歴史と城跡公園の桜だけを話題として、ささやかな観光。パンフレットを作っているという所である。」(佐藤愛子著『あなない盛衰記』より)

福島からM町までは車で一時間の道程である、ハスは郡山から鼠遭醤号線を北上して,途中から旧奥州街道に乗り入れる。M町のメイン・ストリートは旧街道であり旧街道と国鉄東北本線と阿武隈川とはM町の中心で縒りしぼったようにに殆んど接している。」

(松田昭二著『陸奥土産』より)

「朝霧がしっとりと立竃めている黎明の大気をゆすって、守山陣屋の門が重々しく開かれると、数人の小者が走るように、昨夜の小雨にぬれた街道へ散っていった。お陣屋に何かある、早起きの町家の者たちが、大戸を上げる手をとめて噂しあううちに、「下に…」という声がして、大手の濠に長柄・鉄砲の影を落しながら、いかめしい供揃えを従えた乗馬の侍が須賀川の方へ向って打たしていった。」(村上一郎著『東国の人びと』より)

「須賀別は福島の南方十四里のところにある。奥州街道の小駅である。戦国のころまでは二階堂氏がここに城をきずいていたが、伊達政宗に攻めほろぼされたのちは、宿場町として発展してきた。」(杉森久英著『大風呂敷』より)

「伊勢子が死んだのは、それから間もない晩春の一日だった。矢祭山を越して、F県に入り、磐城石川から約三キロ西へ入った猫喘温泉の小さな旅館の離れ座敷で、冷くなっていた。」

(舟橋聖一著『ある女の遠景』より)

「こうして容保の一行は、滝沢村の本陣に費着する。だが着陣してまもなく、西軍が猪苗代城をぬき、最後の橋頭塗とたのむ十大橋も渡ったとの飛報がとびこんできた。十六橋は会津若松への途中にあり、一猪苗代湖の水が、日橋川にそそぐところにかかっている。十六の石橋でつくられていることから、この名があった。」(澤田ふじ子著『葉菊の露』より).

「駒止にさしかかる手前の、南郷を出はずれたところで、雪上車は一休みした。轟音が消えると、却って異様な静かさが、貼りついたように耳許を襲う。その異質な空気の違いに驚いたように、小雪は眼を覚ました。」(曽野綾子著『只見川』より)

「喜多方から桧原まで通常六里の道のりとされております。喜多方を朝八時頃出て遊び遊び歩いても午後の二時か三時頃桧原へ着くことになります。尤も途中に大塩部落を過ぎてから大塩峠という峠があり、上り下り何町か岩角の露出した歩きにくい石ころ直に難渋しますが、しかし、「それとて毎日のように駄馬の往復している往還ではあり、働き盛りの勇の是にしてみたら物の数ではありません。」(井止靖著『小磐梯』より)

「その茶屋は松川湖の湖畔にあり、座敷に座っていながら、薦原の向うにひろがる湖の水面や、対岸の長い砂丘が眺められる。昔はその砂丘がもっと短かく、歌川の河口を包んで入江のようになっていたという。」(山本周五郎著『天地静大』より)

 

このほか、圓地文子著『女坂』(福島市)、柴田錬三郎著『幕臣一代』(矢祭町)、村上元三著『鴉』(二本松)、曽野綾子著『無名碑』(只見町)、松本清張著『死の発送』(福島市、本宮町)などのほか、久米正雄、梁取三義、中山義秀等の作品には数多くみられ、菅生浩著『巣立つ日まで』、鶴見正夫著『かくされたオランダ人』等の児童文学にもみることができます。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。