教育福島0142号(1989年(H01)10月)-025page

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で足腰もたたない程しごかれ、能力も無いのに。ピッチャーで四番。ボールを投げればバックネットを越え、打てば三振走れば転ぶ。体力が衰えた頃全国大会に行きベンチを暖めただけ。涙なしでは語れない悪夢のような思い出だけなのに今もって「スパークス」と縁が切れていない。考えてみると「スパークス」の思い出は即ち青春の思い出なのである。その活動を通じて出会った数々の人々との心の触れ合いは私にとって大変貴重なものであり、いつまでもなくしたくない財産なのである。団員は県内各地に散らばっているけれど私たちを結ぶ固い絆は不滅のものであると信じたい。「スパークス」に幸あれ。

(県立小高工業高等学校教諭)

ひ よ こ

ひ よ こ

 

穂 積 公 男

。年の五月、Aとの出会いがきっかけで、私はチャボのひよこを三羽買ってきた。

今年の五月、Aとの出会いがきっかけで、私はチャボのひよこを三羽買ってきた。

Aは不登校の児童である。四月、Aの心は萎んだ風船のようであった。

中旬、Aの家に奇妙な装置が置いてあるのに気付いた。プラスチックの水槽に米のようなものを敷き詰めその上に卵がのせてある。手製の孵卵機であった。朝寝坊のAはこの日から、早寝早起きをして、一生懸命、卵の管理をすることになった。しかし、三週間経ってもひよこは出て来なかった。

彼はあきらめなかった。その後も孵卵機にチャボの卵を入れた。最初は十五個も入れたのを、日にちをずらして五個ずつ入れるようにした。サーキュレーターのない孵卵機では、こまめに卵を返さなければならないことを、Aは知った。水槽の中の上と下では温度差がかなりあるので、温度計の位置も変えなければならないことも。

六月の下旬の放課後、いつものようにAの家を訪ねると、Aもいつものようにテレビを見ていた。が、何か雰囲気が違った。Aの心に張りを感じるのである。

「何かいいことあったの?」無言でニコニコしているA。母親も出て来て、

「先生、今日は記念すべき日なんです。

何でしょうか?当てて下さい」焦る私。(何だ。Aの誕生日は四月だし…。結婚記念日?まさか。)

「かえったんです」

急いで水槽を覗くと、まだ目を閉じて自分の足で立てないひよこが見えた℃「すごい。すごい。快挙。快挙」私はひよこの姿に興奮した。

一時間後、仕事から帰った父親は、・ひよこに気付いて、感慨深げにジーッと見ている。なかなか言葉を発しない。が、喜びは十分に伝わってくる。

姉も中学校から帰って来たっこちらは、「やったね。すごい。かわいい」を連発。家庭全員ニコニコ顔である。私もAの家族と一緒に喜びを共有できたことに、大きな充実感を覚えていた。

翌日、クラスの子どもたちにこのことを話すと、Aの家まで見に行った子どももいた。Aも、きっと鼻高々だっただろう。

ところが、一週間後の夜、ひよこは死んでしまった。

次の日、Aの母親が家族の様子を話してくれた。

「Aはあのひよこの親だって、喜んでたのに本当に残念です。昨日は家中が暗くなってしまって…。私もおねえちゃんも涙が止まらなかったんですよ。Aも今朝、起きて来た時は、目が腫れていて、一人でベットで泣いていた様子でした」

私は、ひよこが死んだことは残念なことだと思ったが、心の片隅に不思議な満足感があった。それは、大変素晴らしいことをひよこに教えられたからであろう。

八月十五日。我が家の三羽のひよこは我が子はもとより、近所の子どもたちのアイドルとなって、毎日追い回されている。

さて、このひよこは

(表郷村立表郷小学校教諭)

こんなに大きくなった我が家のアイドル

こんなに大きくなった我が家のアイドル

 

 

 

 


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