教育福島0142号(1989年(H01)10月)-026page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

S子ちゃんおはよう

 

伊 藤 史 子

い教師の語りかけのようです。今年もそのことを強く感ずることがありました。

今年も四月に四十二名の幼児が入園しました。近隣三地区からバス等で通園してきます。子どもたちにとって家庭から離れて生活するのは初めてですから不安なのでしょう、なかなか落ち着きません。こんなとき子どもたちを安心させるのは優しい教師の語りかけのようです。今年もそのことを強く感ずることがありました。

「あいさつ」は、人と人との心を結ぶ大切な言葉ですが、最近、入園当初の子どもたちにはあまりあいさつが見られなくなっています。

そこで私から「○○ちゃん、おはようございます」と大きな声をかけることにしています。すると慌ててあいさつしたり、恥ずかしそうに小さな声であいさつしたり、中には黙って足早に保育室へ行く子などさまざまです。ここで声が出せない子がどうしても気にかかります。

明るく、元気に、自分からあいさつできる子どもに育てたいと思い、私から言葉をかけ続けて約一か月、四月の終わりごろに大部分の子どもがあいさつを返してくれるほどになってきました。しかしまだ声が出せないS子がいます。それでも少しずつ顔の表情が違ってきていることに気づきました。声には出さないが心の中であいさつしているように思えたので、いつの日か自分からあいさつをする時がくるだろうと期待しながら言葉をかけ続けました。

五月の中ごろS子からついに小さい声ではありましたが「先生おはようございます」のあいさつが返ってきたのです。私は思わず「S子ちゃん朝のあいさつじょうずにできたね。先生とってもうれしい」と言って抱き上げてやりました。

不思議なものでS子の様子を観察していると、そのころから遊びへの参加も積極的になってきているのです。

気持ちが安定し、充実した日々を過ごせるようになり、それが表情や行動に表われたのでしょう。そして五月の終わりには、自分から元気なあいさつが友だちにも先生にもできるようになっていたのです。

六月のある朝、お客様が来園しました。すると玄関にいたS子が元気よく「おはようございます」とあいさつしたのです。私もびっくりしましたが、来園者から「元気なあいさつができますね」とおほめの言葉を頂きました。

普段こうありたいと心掛けてきたことが子どもたち一人一人の行動となって表われたことにこのうえない喜びを感じました。

今日もまた元気のよい「先生おはようございます」のあいさつに、私も元気よく「S子ちゃん、おはようございます」とあいさつを交わし、気持ちのよい一日が始まります。

(福島市立佐倉幼稚園教諭)

母校の教壇に立って

母校の教壇に立って

 

薄 井 英 一

ら、「英ちゃん、ずいぶん大きくなったね」と言われて、苦笑することもある。

母校である須賀川市立大東中学校に着任して、早二年六か月が過ぎた。最初の転任で、母校に勤めることになろうとは、考えていなかった。いささかの戸惑いはあったものの、懐かしい学び舎は、温かく私を迎えてくれた。地元出身ということで、家庭訪問なども苦労することなくやれるのだが、保護者から、「英ちゃん、ずいぶん大きくなったね」と言われて、苦笑することもある。

須賀川市の東部に位置する本校は、豊かな自然環境に恵まれており、職員室の窓からは、「立志の庭」と名付けられた、すばらしい庭園を眺めることができる。庭園保存会の人たちのご苦労もあって、立派に整備されており、子どもたちの憩いの場としての役割を果たしている。

このような地域で育つ子どもたちは素直でおおらかだが、力強さや野性的な面に欠け、それが、部活動などの試合で最後のがんばりが出ず、敗けてしまうという欠点になって現われている。また、学習の面でも、刺激が少ないせいか、自ら学ぼうとする姿勢、やらなければならないという気持ちが欠けているように思われる。

近年、「自己教育力の育成」が強調されているが、本校の子どもたちに必要なことは、まさにそれである。激動の時代となるであろう二十一世紀を生

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。