教育福島0142号(1989年(H01)10月)-029page
自分が、非常に情けなく感じられた。陸上の苦手な子に対する配慮があまりにも足りなかったのである。教師生活わずか一か月の自分は、さっそく生徒から学ばされたのである。
次の日、クラスでこのことを話し、結果はともかく、一人一人が全力でがんばろうと、轍を飛ばした。結果は二位に終わった。生徒たちは、クラスの中から大会新記録が出たことや全員が一生懸命がんばったことに満足した反面、もっとバトンパスの練習をすればよかったなどとたくさんの反省もあったようだ。
校内陸上大会を通して、生徒もいろいろ勉強になったろうが、それ以上に私も生徒から多くのことを学ぶことができた。今後も生徒一人一人を大切に生かし、生徒と共に学び、立派な教師になりたいと思う。
(北会津村立北会津中学校教諭)
クラス一丸となった校内陸上大会
教師最良の日
吉 津 和 子
「ヨシツ先生ですか」(正しくはキツ)よく聞き取れない声で電話がかかってきたのは、秋も深まる夜であった。「タキネの…です」誰なのか思い出せない。「今度同級会を開きたいのですが」「……」「M君もいるから今替わります」電話の向こうから押問答のような楽しい気配が伝わってくる。M君、滝根、同級会…そこでやっと気がついた。十年前に担任した子どもたちからである。
数か月後、きれいなワープロの招待状が届き、転勤後ほとんど訪れることのなかった神俣駅に降り立った。昔と変わらない街並みが目に入ってくる。大学生の丁君と家業を継いでいるM君が迎えに出てくれた。二人とも少し照れくさそうにして、あれこれ気を遣ってくれる。
新採用教員として辞令を受けたのは、滝根町立滝根小学校。あぶくま洞があり、観光客の多い山合いの町であった。新しい土地での初仕事、期待と不安の入り混じるスタートであった。伸び伸びとしていて個性の強い五年生。新米教師の舵取る船は、こちらで座礁したり、あちらの渦に呑みこまれたり。けんか、けが、いじめ、盗み…次から次と何かしでかす。有効な手を打てないまま、言葉だけが空回りする。学生気分の抜け切らない私にとっては、すべての面で課題が多すぎ押し潰されそうな毎日であった。温かい先輩、そして地域の方々のおかげでどうにか一年目が過ぎ、二年目、最高学年になった彼らは、少しずつ落ち着きを見せ始めた。
失敗ばかりしていて頼りない先生に受け持たれた子どもたち。申し訳なかったという気持の方が大きい。その子どもたちが成人し、同級会に招いてくれたのである。「うわぁ、懐しい」キャーキャーと歓声が上がる。一目で分かる顔。なかなか結びつかない顔。十年後の世界にタイムスリップした感じである。一番腕力沙汰の多かったM君が、会の計画から進行まで。いつも静かで、新採用の私にはやや冷やかに見えたM子さんが、招待状や会計の世話一切をしていてぐれた。坊主頭は、長髪に櫛を入れる青年に。当時のヒーローは、すっかり三枚目。(彼は今年教員になった)。いじめられつ子で笑顔の少なかったGさんとけがの多かったSさんは、もうお母さん。おてんば娘が白衣の天使。一番小さかったY君が長身の大学生に。…子どもたちの将来というものはなかなかおもしろいものである。思い出話に花が咲く。喜びと驚きの入り混じる教師最良の日は、あっという間に終わってしまった。
皆に見送られ神俣の地を離れながら夢ではなかったかと、ぼんやりした頭で考える。いや夢ではない。記念の時計が手元に残された。時を刻む音に重なり、あのころは聞こえなかった子どもたちの声が聞こえてくる。「フレー、フレー、二組。先生、がんばれ」
(只見町立明和小学校教諭)