教育福島0143号(1989年(H01)11月)-023page
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随想 ずいそう
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心ときめくとき
小泉靖子
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子どもに接していると、なぜか心が和みます。本音の出し合いだから自然に素直になれるのです。素直になるといろいろなことが身近かに感じられます。石ころだって、葉っぱだって、紙きれだって……みんな、みんな友だちになれるのです。子どもが心を開く時、目と目が合って、つぶやきが始まるのです。言葉がほとばしり、次々に語りかけてくれるのです。そんな時私の胸は熱くなるのです。
木が揺れているよ
葉っぱが踊っているみたい
木も笑って踊っているみたい
波がざぶんときて踊っているみたい
波がいっぱいあって波の世界みたい
子どもの心を揺さぶり感動を呼び起こさせた一本の栗の木、そして風と真っ青な秋の空、こんな素晴らしい詩を言葉で表現しているのです。さまざまな思いを胸に秘めながら……一人一人息づいている子どもたちに精一杯の拍手を送りたいのです。
つぶやきは私への評価です。私たちと子どもたちは互いに評価し合い、自分自身を高め合っているのだと思います。「先生って、○ちゃんには優しく私には怒るんだもの」「先生って嫌いだよ」の一言にドッキとします。予期しない言葉だけに驚き、胸を刺す痛みと悲しい気持ちになるのです。
「どうして?……分け隔ても命令することもしていないのに……」と思い悩む私。でも、子どもへの思いは後回しになっているのです。子どもの心を大切にと気負っているだけに、その思いが打ちのめされた痛みと悲しみで一杯になります。私のごう慢さを子ども特有の感覚で鋭く見抜いているのです。まぶしいほどのつぶやきに恥ずかしく、心洗われる思いがします。おごり高ぶることの愚かさを、私に忠告してくれるのです。
「こま回しになると心臓がドキドキするよ。だって回らないかな、回るかなって、心配するんだもの」真剣な思いがつぶやきの中に見えてくるのです。子どもながら考え、何かを求めて心が動いている時は、とても新鮮で心がときめくのです。つぶやきは私自身を変えていく力の源であると思います。
雨が降ってきたよ
雲が洗濯しているんだよ
汚れているから洗濯しているんだよ
飾ることなく自分をありのままに表現していく素晴らしさを教えてくれました。身振りや眼差しで訴えていたころより驚く程、状況に応じて言葉を選び使っているのです。言葉は心をつなぐ架け橋であり、友だちを広げ、感動を呼び共感し合って私を魅了するのです。すべて心ときめく、ひとときです。
(いわき市立汐見が丘幼稚園教諭)
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ある先生からのご助言
横田勝秋
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本校に勤務する前の二年間、講師をしていた私が、本採用の喜びを味わってから、早いもので七か月が過ぎようとしております。新天地では、一年四組の学級担任、社会科担当、そしてソフトボール部の顧問として、いろいろと悩みながらも、校長先生や教頭先生を始め、諸先輩方の温かい励ましを受けながら精一杯の努力をしています。
青く澄みきった空に、白く薄い雲がゆっくりと形を変えながら動いているある日の午後のことでした。ぽかぽかと暖かい秋の日差しが心地よく降り注いでいる校庭では、ソフトボール部員たちが、練習の合間の休憩だというのに、ソフトボールを楽しげに追っています。そんな彼女らを横目にノック・バットを置いて、しばし感慨にふけっていると、ふと、A先生からご助言を
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